平静とロマン

平成生まれの大正浪漫19歳

セカオワコラボTシャツ(WEGO)

年末あたりに引っ越しをすることが決まった。

といっても同じマンションの上の階に越すだけ
なので間取りも同じだしたいしたことではないのだけれど、いい機会なので着ない洋服で溢れていたクローゼットを整理することにした。

もう着ることはないし処分したいけれど、名残惜しくて処分しづらい服を写真と文章で残すことにした。


第一回は、WEGOSEKAI NO OWARIとのコラボTシャツ。

わたしは2010年から2013年までの約4年間、それはそれはセカオワが好きだった。
きっかけはラジオでデビュー曲がヘビーローテションされていたことだった。
それ以降はどういう経緯でハマっていったのか覚えていないが、とにかく本当に好きだった。


好きで好きで好きすぎて週に3回はプライベートのセカオワのメンバーに遭遇して仲良くなる夢や、バックステージで仲良く話す夢をみていた。
男性陣がやっていた雑談Podcastは追加されたのを発見次第WALKMANにうつして覚えるまで聞いていた。毎週やっていたラジオもリアルタイムで聞きながら録音して、WALKMANで聞き直していた。ぽろっともらす個人情報や過去のエピソードから、インターネットに残っていたDJ LOVEさん(ピエロの人)が本名を名乗っている音源を見つけたりもした。
通学途中にアルバムを聴くたびに自分の心臓の音がわかるくらいドキドキして、わたしもこんなギターが弾けるようになりたい!と思っていた。ギターは全然弾けないが、中島さんが弾いていたギブソン ES-335はいまでも憧れだ。



WEGOセカオワのTシャツが発売されたのは2012年のことで、わたしが彼らに恋していた最中だったので旗艦店限定販売だったこのTシャツも買わないわけがなかった。

原宿本店と心斎橋店限定、枚数限定だった黒×ピンクのレア色が欲しくて発売日の10時に原宿に行った。

渋谷が通学路だったものの周りの誰も知らないサブカルこそ最高だと思っていたわたしは中学生のときは下北沢に入り浸っていて、原宿なんてほとんど行ったことがなかった。

朝の原宿はびっくりするくらい人が少ない。
たまたま発売日が保護者面談の日で、学校に行くついでに原宿に寄ることにしたのでスーツを着てハイヒールを履いた母と、閑散とした竹下通りを歩いた。
わたしのファースト竹下通りはこれだったので、原宿(厳密には表参道かも)なんて飽きるほど行ったいまでも一面に人がうごめく竹下通りを見ると気持ち悪くなってしまって迂回する。

原宿本店に辿り着いたのは開店直後で、店内の商品を見ることもなく一目散に目当てのTシャツへと駆けより手にとってレジへ向かった。
ナンバー入りの抽選カードをもらったのだが、009番だった。おそらく001番から順に配っていたので、9人目だった。

バンドTシャツにありがちな首のつまりもなく、やわらかなコットンがおだやかに身体の曲線に沿うTシャツはすごくスタイルがよく見えて、セカオワのTシャツということをさしおいてもお気に入りの1着になった。

普段着としてよく着て、ライブでも着て、セカオワ熱が冷めてからも愛着から部屋着として使って何度も洗濯を重ねたが、首はそんなによれていないし毛羽立ちも顔を近づけなければわからない。

WEGOなのにずいぶん質がいい、と正直思ってしまう。もっともWEGOはこれ1着とお揃いディズニー用のスエットくらいしか買ったことがないけれども。

セカオワがいまのような曲も衣装も幻想的なファンタジー路線に切り替えてからしばらく経つとライブでアイドルのように黄色い悲鳴が上がるようになり、うんざりして徐々に熱は冷めていった。
わたしだけのアイドルだった彼らが公にアイドルのような扱いを受けるのが許せなかったのだと思う。ほんとうは。

そして、またラジオで見つけたほかのバンドをひいきにするようになっていった。

なお、熱狂が去ってから1,2年経ったくらいだろうか。夢の中ではなんどもなんども会っていた深瀬さんとほんとうに渋谷ですれ違い、握手してもらったのはいい思い出だ。

足利・珈琲蔵(かふぇぐら)


旅行先でたまたま通りかかった屋台があまりに気になり、近くにあったパーキングスペースに車を停めたところ正面にあったのが珈琲蔵。



ちょっと小屋っぽいが深い茶色の板に緑が這っていてあきらかにかわいい、しかもクリームソーダがある……。
夏休み中クリームソーダ部としての活動が十分にできていなかったため予定外だが入ってしまった。

25席ほどのちいさな店内で、木の温かみのある椅子が並ぶカウンター席と迷ったが緑色のガラスのペンダントランプが下がる奥のテーブル席に座り、迷わずクリームソーダを注文した。




上に向かって徐々に広がるトランペットのようなかたちの背の高いグラス。よくみると下から2〜3cmほどのところにほんのり小豆色の帯状の着色がある。

ソーダの量のわりにアイスクリームが控えめかなと思ったが、バニラの香りがつよめのクリーミーなタイプだったのでちょうどよかった。

茶店のクリームソーダは炭酸が弱くなりがちだが、このソーダはしゅわしゅわ感がきちんとあった。

プラスチックのレトロな柄のコースターや、店内にながれる80〜90年代のJ POPも雰囲気があって居心地が良かった。

バッハの旋律を夜に聴いたら息が苦しい

知人に、馬場さんという男性がいる。
授業を通して知り合ったひとつ上の大学の先輩だが、一歳しか離れていないとは思えないほど深く豊かな知識を持っている憧れる人のひとりである。

話は変わるが、先日高田馬場で友人と遊んだあとあまりに運動不足かつお金がないので新宿まで歩いたら楽しかったのでさらに足を伸ばして渋谷まで歩いた。

代々木と原宿の間とイトキンビルを歩いていたあたりで、ふとサカナクションのフロントマン山口一郎さんがInstagramに写真をあげていたかっこいい香水ブランドの店舗が原宿にあることを思い出し、立ち寄ることにした。

retaWという日本発のブランドで、海外スーパーの冷凍品売り場のような無機質な大きなドアの中に製品が並べられたディスプレイが非常にクールだった。

テスターを嗅いだところALLEYという名前の香りがまさにイメージしていた清潔感とミステリアスさとあたたかみの共存した何度でも嗅ぎたくなるような香りで、お金がないにもかかわらずコンタクトのような容器に入った使い切りのクリームタイプの香水を迷わず購入した。


この香りが似合う女性になりたい。
全身から漂わせたいし包まれながら暮らしたい。
テスターをつけてもらった手首の内側を鼻に近づけてくんくんしながら歩き続けた。

家に帰って、まずはすてきな香りにふさわしいすてきな部屋にしようと散らかしっぱなしにしていた部屋の大お片づけ大会を始めた。


幼い頃からお片づけがあまりにも苦手なわたしは、気をぬくとすぐに目の前の惨状にどう立ち向かったらいいのかわからなくなり立ち尽くしてしまう。スマホをいじり始めたり、発掘したなつかしい本を読み始めて片付けを辞めたら終わりである。
そのような悲劇を避けるため、Bluetoothスピーカーに繋いで大きな音でノれる音楽を流すことにしているのだが、今回はサカナクションを選んだ。

基本的にダンスがものすごく下手で抵抗のあるわたしだが、堪えきれずに踊りながらテンポよく片付けを進めていた。

『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』を聴きながら、富士山に登ったときに前述の馬場さんがサカナクションに言及していたことを思い出した。
彼は、わたしではちょっと名前すら覚えていられないような思想家や批評家の本をよく読み、クラシックを聴いて恍惚とする男性である。

サカナクションなんて現世のポップミュージック(語弊があるかもしれない)は知らないはずだった馬場さんがサカナクションを知っていてたいへん驚いたのだが、どこかのコミュニティで彼がお酒を飲むときのコールが「バッバの旋律を夜に聴いたせいです」であるらしく、その元ネタとして知っているようだった。

バッバ……と不思議な気持ちになりながら好きな音楽を聴き踊りながら片付けを進めたが、結局その日のうちには終わらずキリのいいところで寝たら深夜に息ができなくなるほどの喘息の発作に見舞われ、あまりに苦しいので何度も起き上がり最終的にはリビングに避難することにした。

ハウスダストアレルギーかつ気管支が弱いわたしには、踊りながらの片付けは埃が立ちすぎて良くなかったのかもしれない。

うまく呼吸ができないので午前中は寝ながらぼんやり過ごしていたが、昼過ぎから徐々に回復したのでマスクをしながら片付けを再開したものの数分で皮膚が痒くなったりくしゃみが出たりし、やはり気管支に違和感が出はじめたので家族の寝室に緊急避難しこの文章を書いている。

いい香りの似合うすてきな女性、すてきな女性の暮らすすてきな部屋への道のりは遠い。


※この記事が馬場さんご本人の目に入ってしまった場合、すみやかにかぱぱみまでご一報ください。しかるべき対処をいたします。

雪舟えま『プラトニック・プラネッツ』


わたしは冬生まれで汗っかきなので基本的に冬が大好きで、暑いのはとても苦手だ。

今年の夏は特に暑くて着る服もなくてうんざりしていたところ、今日は起きた瞬間に空気が秋になっていることを確信した涼しい晴天だったので『死をデザインする』なんて本を読みながら来るべき死に備えて鬱屈と考えごとをし続けるのはあまりにももったいないと思いストックしていた未読の小説を手に取った。



読み始めた雪舟えまの『プラトニック・プラネッツ』は、大学の図書館の入り口にピックアップ書籍としておいてあったところメタリックな装丁がたいへん可愛らしかったのでとりあえず借りてみた100%ジャケ借りの本だった。
(もしやと思っていま確認したところ、案の定装丁は名久井直子さんだった。わたしがジャケ借り/買いする本は8割がた名久井直子さんが手がけたものである)


中高生の頃はいわゆるエンタメ文芸に傾倒していたが最近はもっぱら美術の本や現代詩を読んでいたため、知らない作家の聞いたことがない本を読むのは本当に久しぶりだった。

そして、こんなに作品世界に没入して夢中で読み続けられる小説に出会ったのも久しぶりだった。


舞台は(おそらく)すこし未来の東京。
社会人5年目、歌が得意な二十四軒すわのと、彼女と交際を6年間続け同棲中の漫画家志望・住吉休之助のそれぞれの前進が描かれる。

出てくるアイテムや彼らの住居は現代と比べて大きく変わっているわけではないが、どこか不思議でポップな近未来感がただよう。

森見登美彦三崎亜記など、すこしだけ現実と違う日本を描く和風マジックリアリズムが好きなわたしはすぐにその世界観に魅了された。

ものすごく難しいわけでも奇抜なわけでもないが簡単には思いつかないこと(パルプのフンをするロボットウサギや飛行船に乗る葬儀屋)や、登場人物たちの由来も国籍もわからない名前からはなんとなく自分が詩で書こうとしている透明な浮遊感が感じられて心地が良かったのだ。

自律的な言葉の働きに委ねたような、あまりに詩の世界に近いモチーフの組み合わせが繰り返されるため途中で気になって著者のプロフィールを調べたところ歌人としてデビューした方だったので納得と同時に運命を感じざるを得ない。

漢字の閉じ開きにこだわりがあるので、「○○的」の「的」をすべて「てき」と表記するのだけはどうしてもいただけなかったが、男と女であれば恋愛に発展しなくてはいけない、恋愛を避けては特別に大切な関係にはなり得ないというわたしが感じていた窮屈さをやさしく取り払ってくれた、良い作品だった。

キスしたくなくても、性行為に及びたいとは全く思わなくてもとびきり大切に思える異性がいても良いのではないだろうか。

同性であればいくつも存在する親愛の情の示し方が、対象が異性になったとたんに性行為とそれに連なるふれあいに限定されてしまうのはあまりにももったいない。

異性との関わりかたに疑問を抱いていた、詩歌の好きなわたしが、著者のプロフィールと作品の内容をいっさい知らない状態でたまたまこの本を手にとって読んだというのは出来すぎではないか。

本は読むべきときに読むべき人のところに自律的にやってくるのだとわたしは信じている。

手元に置いておきたい本なので後日自分で購入しようと思う。

ゆめのように愛おしい


永遠に十代な気がしていたわたしたちにも、あたりまえだけど時間は平等に押し寄せて、気がつくと二十歳を迎える年になっていた。


親友が二十歳になった今日、十九歳のわたしはスーツを着て東海道線に乗りながらこの文章を書いている。

いつのまにか正装はブレザーとプリーツスカートからスーツになって、汗をかきながらわたしは肌色のストッキングを履いて7cmのハイヒールでスタスタ歩いている。顔にも肌色の膜を張ってあたりまえのマナーとしてまぶたの上をきらきらさせたりしている。


あたりまえのことが、あたりまえのように苦しい。

スーツが嫌いとか、メイクが苦手とか、そういう話ではなくて。

今日二十歳になったあの子を昼休みに教室まで迎えに行って二人で図書館の奥に座ってお裁縫の本やきれいなデザインの本を眺める時間は永遠だと思っていた。
わたしたちはずっと特別なままだと思っていた。


生徒専用の図書館には卒業生だと言えば入れてもらえることはできても、もう主たる利用者として利用することはできない。あの日のあの子のプリーツスカートのすそにはもう届かない。

書きながら、途方に暮れる。
わたしは別にいまを愛していないわけではないし、あの日がなにもかも楽しかったわけではない。
大学生になって、自分の世界も周りの世界も大きく広がったいまのほうがずっとずっと生きやすいはずなのに、それでも振り返るとこんなにあの日は愛おしい。

わたしはスーツだって好きだし、メイクだってそれなりに楽しんでいる。いまだって何年か後に振り返れば間違いなくものすごく煌めいていて愛おしい日々であるはず。

だから、いまの自分を愛せるように、昔の自分を慈しめるように、名実ともに「大人」になりつつあるあの子をわたしはこれからも見ていたいし、あの子にわたしを見ていてほしい。

「あの日は楽しかったね、わたしたちは輝いていたね」というだけじゃなくて、いまの苦しさや楽しさをこれからも共有したい。

いまのわたしたちにとってあたりまえの苦しさを、これからのわたしたちのためにいま標本にしておきたい。


なかなか会えなくても、身を置く環境が全く違っていても、わたしたちにはあの日があるので。

吉祥寺・ゆりあぺむぺる


久しぶりの友人に会いにめずらしく吉祥寺まで行ってきたので、すかさずずっと訪れたかったゆりあぺむぺるへ。

赤いクリームソーダのイメージが強かったが、メニューには意外にも赤(ザクロ味)のほかにもアプリコットオレンジとバイオレット、期間限定のラピスラズリがあった。
何色にするか迷ったものの、友人がラピスラズリを選んだのでわたしは定番のザクロにした。

軸が太めでガラスの厚いずんぐりとしたワイングラスは手作りのようなあたたかさが感じられた。写真には写らなかったが裏側にはラピスラズリのような深い青の班が入っていて涼しげ。

アイスクリームは生クリームのようなかなりなめらかな触感で柔らかく、しゃりしゃり感はほぼゼロ。アイス自体が美味しくてついついたくさん食べてしまうタイプ。ライオンとかgionと同じ系列かな……。


ソーダは底にシロップだまりがあり、グラデーションになっているのでスプーンで混ぜるとシロップが陽炎のようにゆらゆらしながらソーダに混ざっていくのが見えてとても美しかった。

味は、ザクロではないかもしれない。そもそもザクロはぷちぷちとした触感と渋みしか印象になく、味を明確に思い出すことができないので説得力にかけるが、少なくともいちごの味はしなかった。ピーチに近い、柔らかな甘みがあった。

友人の頼んだラピスラズリを一口もらったところ、そちらはレモンのような、明らかに違う味がしたので色によって味が違うことは間違いないと思う、見た目に味が左右されているとかそういうレベルには収まらない香りの違いがあった(すくなくともわたしには)

凝った細工の施された入り口のドアや木の暖かい雰囲気がある店内の写真をみて勝手に井の頭公園沿いの静かなエリアにあると思っていたが、駅からすぐのチェーン店や居酒屋の林立するあたりに慎ましげにすてきな空気を発していて入る前からグッときた。

たしか名前の由来も宮沢賢治だったと記憶しているが、銀河鉄道の夜の手書き原稿が掛けられていたり、マッチには猫の描かれていたりと宮沢賢治のどこか浮世離れした雰囲気をたしかに受け継いでいて、小川未明宮沢賢治が好きなわたしはとても居心地が良かった。

マシュマロ⇔恋人の肌

レポートを書いて疲れて眠ろうとしている深夜2時(もうすぐ3時になる)にふとマシュマロが食べたくなって、あるわけもないのに冷蔵庫の扉を開けながらとつぜんandymoriのサンセットクルージングの「初恋の香りに誘われて死にたくなる夕凪」という一節をおもいだしてものすごく死にたくなった。

なぜだか理由は一切わからないがマシュマロはわたしの中では"恋人"(不特定)のアトリビュートだ。
わからない、なぜだかはわからないけど。
肌のやわらかさを想像するからかな、あるいは唇とかキスの甘やかなイメージかもしれない。腕の内側にしわを寄せるとほぼ唇だよ、みたいな感じと同質の。


あるいは、

わが家にはマシュマロ嫌いな母がいるので幼い頃からあまり縁がなくて(それでももらいものとか留学先の別荘で炙って食べたとかナイスな記憶はある)、マシュマロには「ホワイトデーに男の子からもらうもの」というあまずっぱいロマンがあるのかもしれない。

ホワイトデーにその子のことが好きならマシュマロ、ふつうならキャンディ、きらいならクッキーをあげるらしいみたいな何かがなかった?わたしにはあった。
うーん、なんとなくキャンプの情景が広がるのが気持ち悪い。この記憶はなんだ?


時刻は深夜3時を過ぎた、
眠気がこめかみまで降りてきているわたしの自動書記のような文章をブログに捧げる
andymoriを聴きながら

最近は詩とレポートばかり書いているのであまりに両極端
いい塩梅に美しく起承転結のあるブログの文章はもう書けない気がする