平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

砂の家

文章を書くことから一度距離を置こう、心底書きたくなるまで、書かずにはいられなくなる瞬間が来るまではじっとしていようと決意をしたはずだったが、性根がおしゃべりなのはどうにも止めることができないのでこうしてキーボードを鳴らしている。

わたしはおしゃべりだけれども話はうまくない。たくさんお話をするとああではないこうではない、ああ伝わらなかったとがっかりして苦しくなるので文章を書くほうが好きだ。

話すように書くとはよく言うが、わたしのお世話になった大学の先生はコロナ禍でゼミ生向けに「話すように書いていきます」と前置きをして本当に彼の声が聞こえてくるほどの完璧な言文一致で指導のアナウンスをしていた。チャーミングな書き言葉をそのまま話す先生のことに、どれほど親愛の情を抱いたことだったか。家のなかに大学生活が立ち現れた混乱のさなかで、声から文字に移し替えてもすこしも人格に揺らぎのない先生にわたしはとても励まされていた。

 

大学を卒業して会社に入って、ゆかりのない都市に住みはじめて1年になりつつある。1年間で思ったより遠くに来てしまったと振り返ってみると思う。

1万キロ離れた土地に住んでいたことがあるので、物理的な距離は実のところそれほど大きくはない。成長をしたとか、社会的に地位が大きく変わったとか、そういう「とんでもないことを成し遂げてしまった」みたいな遠さでもない。去年のいまごろ世の中にいたわたしといまここにいるわたしでは、社会や人生との接しかたが異なっている。そういう距離だ。去年のわたしと今年のわたしの心理的距離とでもいうべきか。

それがいいことなのかわるいことなのかはわかっていない。ただ、一般的に言われている「大人になる」というのはきっとこういうことを指していうのだろうとぼんやり考えている。

 

学生と社会人では時間の流れかたがはっきりと違う。

決められた期間で自分の環境が変わることはない。

住む場所や周りの人の顔ぶれはなだらかに変化していくが、我々が社会から卒業するのは死ぬときだ。いつ死ぬかはわかっていない。

わたしは遠くを見るようになった。

中長期的な成長計画、人生の次のフェーズのための貯金や人間関係。いまやれることはあるけれど、結果はどれもすぐにはわからない。

いますぐ救ってほしい苦しさはない、さまざまな人生の要素に自分が比較的恵まれているほうだということもわかった。でもなんとなく、酸素濃度の低い霧のなかにいるような、のっぺりとした息苦しさにずっとさいなまれている。

饒舌に書き始めたはずがすこしずつ速度を失ってきた、とりあえずいま言いたいのはこれだけだ。

 

日々をやりすごす

最近、これといってすることがない。

することがないけどなにかをしている気分になりたいので、そういうときはとりあえず湯船にたっぷりのお湯を張ってざぶんと浸かる。いまの家は蛇口からお湯を注ぐタイプの浴槽なので、水の着地点に液状の入浴剤を注いでおくとちょうどいい具合の泡風呂ができる。マカダミアナッツとオレンジとカルダモンの香りがするはずの入浴剤は、心なしかマカダミアナッツの気配が強い。ハワイの屈託のない日差しがあれほどわたしは嫌いだったのに、どうしてぎりぎりの底であの明るい土地を思い浮かべるような匂いを好んで使っているのだろうか。

体温より何度か熱いお湯に肩まで浸かり、髪に泡のかたまりをいくつもひっつけながらひとりで苦笑いする。

ほんとうは熱いのは苦手だ。からだからどんどん水分が抜けていって、わたしの内側がどくんどくんと音をたてる。心臓がうるさい。眠るときもこの音が気になってなかなか寝つけないことがあるのだが、これがなくなってしまえばわたしという意識はどこかへ消失するということもよくわかっているので余計に心臓の音を意識して恐怖を感じる。

 

思えばもう何年も「今日も今日とて社会に適合できなかった」とへらへらした顔で、なかば自慢げにインターネットにつぶやいてきた。けれど改めて「不適応」と医者に言われるとうんざりする。冬の小学校を思い出してしまう。わたしの通っていた小学校には庭に小さな池があって、真冬になると氷が張るのでみんなが度胸試しのようにその氷の上を歩いていた。氷は足をのせると見た目よりずっと薄くて脆く、ときどき児童の重みに耐えきれなくなって冷え切った水の中へ陥れる。

みんなは今日も平然とその薄い氷の上を歩いている。どこで割れるかわからないのに。

もしかしたら、みんなにとっては堅固なコンクリートの足場なのかもしれない。他人の気持ちはわからないし、他人の眼から見た世の中はどんな色をしているのかわからない。わたしが緑だと思っている色は世間の人のピンクなのかもしれない。

 

一度お湯に浸かるとなかなか出ることができない。立ち上がると血流がどうにかなってどうしようもなく具合が悪くなるし、外が寒くて悲しくなるから。惰性で湯船の中に座り続けていると、もこもこだった泡は水面の一部に申し訳程度に浮かぶちいさな記号になる。肌が赤くなるほど熱かったお湯は冷えてどんどん心細さを増していく。

指はふやけて、無限にあるはずのインターネットの文字情報を一通り巡回し終えてしまう。そろそろ頃合いかと諦めて浴槽を出ると吐き気と手先の震えがやってくる。

 

ひとりきりでいても、だれかといても快適に過ごせないことがある。

わたしはわたしがどうしたら快適なのかすこしも見当がついていない。

 

コミュニケーションだって同じで、その場では楽しい時間を過ごせている気がしても、あとになると不愉快を見せかけの笑顔で塗りつぶしていたことに気がつく。

そういうときはその場でたいてい表情筋のこわばりを感じているのに、わたしはそれが自分の不愉快の証だとわからない。

上手に笑えているだろうか、上手に相手を気持ちよくさせられているだろうか、そればかりが気になって「いやーそうですよね」「ありがとうございます」「ほんとうに、ね~」と手持ちの少ない相づちを繰り返してしまう。

おだやかそうな小娘に頼まれてもいないのにアドバイスを繰り出すのは楽しいだろう、あなたのアドバイスを聞き入れるに値のするものだとはみじんも思っていなくても、表面上はすこし困ったような顔で神妙に受け容れているのだから。

わたしはわたしの意地悪さを見抜く人たちが好きだ、「にこにこしていても心の底ではぼろくそに罵っていそう」と言われるとほっとする。でも世の中のたいていのひとはわたしの小ずるさに気がつかないので、気持ち良さそうにアドバイスをして去って行く。

 

そういう人たちの適当なアドバイスなど傾聴するまでもなく、わたしはわたしがどうしたら幸せになれるのかを理解している。真に必要なのは「理解のある彼くん」などではなく、「現実を認められるわたしちゃん」だ。

でも、その理想の「わたしちゃん」をどうしたら手に入れられるのかがわからない。自分をじょうずに甘やかすすべさえわかっていないのだから無理もないが。

現実をしっかりと見据えて、だめでもやぶれかぶれでも「それでも大丈夫」と思えるしなやかさが必要なのだと心では理解している。それは人に求めるものではなくて、自分の中から素直に湧き出るものでないと意味がない。

雪が降ると重みに負けてすぐに形をかえてしまうようなか弱い枝に見えても、じつは芯が折れないままじっと春を待っている枝になれればきっと明日も生きていけると思う。

じっと部屋の隅で考えている。

 

 

 

なんにもないけど

 

私信をさも日記のように綴ること、胸が夢でいっぱいだったころはいっしょうけんめいやっていたけれどもう胸には現実しかないので今はそういうのできなくなりました。現実は無数の具体の集合体で、あしたの献立とか、来月の収支の調整とか、洗濯機をいつ回してどこのタオルを交換するのか、そういうことでできています。

文末・文章のまとまりごとに改行していたら「メールで改行、しないんだね。相手がスマホで読むこともあるから今はあんまり意味ないけど30字くらいで改行したらいいよ」と言われてそんなの嘘だよ読点で改行するなんて10年前の携帯小説みたいなことしないでほしいのだってマルケスは何ページも一文で繋いでそれを誇っていたでしょ、と心の中で思ったけど「改行っていります?」と冷たい顔でいい放てる強さも愛らしさも持ち合わせていなかったので今はすなおに30字を目安に区切ってメールを書いています。

日々はなんにもないことの繰り返しです。それでも周囲の人からすればずいぶんエキサイティングなことをしているのでしょうが、昼間の蛍光灯にうんざりしたら外に出て10分くらい歩いてフランス人のパティシエが作っているらしいちょっと高くておいしいパンを買って歩きながら食べるのがいまのわたしの精いっぱいのしあわせです。

 

なんだろうな、わたしはわたしがどんどん褪せていっている気がしています。

昔のくるしかったときよりずっとうまくいっていて、圧倒的にいまがハッピーなはずなのに、わたしはどんどんわたしに興味を持てなくなっていっています。

あんなにコンプレックスだったはずの見た目も、ここ1,2年でほんとうに褒められることが増えました。初対面か初対面に近い顔のいい女たち(複数形なのが大事なの)に「顔かわいいよね」と言われるようになって、それはわたしの顔の素材がいいというよりこれまで息もたえだえに、祈るように積みかさねてきた信念がようやく見た目ににじみ出るようになった結果なのだと思っています。そういう意味ではわたしは明らかに右肩上がりできれいになっていくタイプの人間です。すてきだよね。でもいまも今後もある程度すてきなことが見えてしまったからこそ、その満足は無関心につながっていく。

 

わたしは口を開けばわたしのことばっかりですね。

だってこれまでそれだけ悪目立ちしてきたんですよ、視線をじぶんに向けざるを得なかった。

 

ひるがえそう。今週は、これまでいっしょにいた男のひとたちのことをけっこう考えていました。

いまの現実のなかに彼らはいないから(それは君も含めてなのですが)、水槽の底で動かないお魚を見ているようでした。

痛みも悲しみもなくて、ただ確かに世の中にある/あった、動かない事象です。

「残らない別れなんてないよ」と言ったのは2話か3話くらいの大豆田とわ子で、それはほんとうに真実だと思う。

「ひねくれてひねくれた結果まるく見える人には独特の色気があると思うよ」ときみが言ったことは、今後もわたしの人生の支えになると思う。

わたしはつまんねえ昔の映画の、たった数秒のカットにときめくために今後もひとりで小さくて椅子の硬い映画館に座ると思う。

 

でもなんだろうねえ、わたしは夢を現実に持ちこんで、それまで持ち合わせていた熱情を失ってしまったのでもうおしまいなのかもしれないです。

あー、「まだ何も作ってないのに何がわかるの」という上司の顔がいまこの瞬間にも浮かびます。彼はとても優秀でちょっと冷たいけどその裏には優しさと気遣いがあっていわゆるツンデレ系…うわわたしがこんな使い古されたことばを並べるのはきもちわるい…なので尊敬していますがすごく苦手です。

 

言語化がじょうずになればなるほど、抽象は解体され具体へと落としこまれるようになっていきます。

こうして大きなものを持てなくなったひとはからだもなまえも小さくなって、「過不足なくいいんだけど光るものは、ない、よねえ」のひとになっていきます。

夢はね、解体すると現実的な目標になっていくよ。目標は達成すべきもので心ときめくものではないです。

熱情を持てなくて、持たせてあげられなくてごめん。

恋は遠い日の花火になりつつあるよ、もう何回も言われてるけど今後「本物の恋愛をしたことがないんだよ、ほんとうに好きなひとに出会えたらそんなこと思わなくなるよ」とかいう大して交際してもないのに相手を勝手に「ほんとうに好きなひと」だと思いこんでる蛙(かわず)ちゃんたちに会ったら井戸ごと埋めてころす。

 

わたしはきみのこと最低でセンスがないやつだ、どうにでもなってしまえと思ってるけど、同時に話したいことももうすごく溜まっています。

ずっと楽しみにしてたダニエル・シュミットのヘカテはぜんぜん面白くなくて寝たけど、エリック・ロメールのモード家の夜はすごくよかったよ。

初めて観た翔んだカップル相米慎二のこと、大好きになった。

坂元さんの本を読み返したら好きな映画で挙げられてるのが相米、増村、ロメールトリュフォーカウリスマキだったよ。

仕事場の本棚の写真を見たらいっしょに買った上間陽子さんの裸足で逃げるが2冊並んでいたし、森達也の死刑も高野秀行も石井好太さんもあった。

これは嬉しい既知だったけど、情報収集したくて久しぶりにCINRAを覗いたらぜんぶぜんぶわたしの知ってる、親しみのある固有名詞で気持ち悪くなっちゃった。

だれかに話したらきっと「へえ、よくわかんないけどすごいんだね」って返してくれるけど、おなじ文脈で興奮したりゲロ吐きそうになってくれる人は思いつかないのでさびしいです。200人見てるはずのTwitterで呟いてもだれもいいねって言ってくれない、これが21世紀の孤独だよ。

でも最低でセンスがないやつだ、どうにでもなってしまえ、ついでにマリメッコのトート返せよ、と思ってるのはほんとうなのでそこらへんは間違えないでね、こっちにもいちおうプライドってものはあるのでね。

 

以上、自席の引き出しのなかに成城石井で買った高い生姜飴を常備しつつ、大粒で果実感が強めで箱じゃなくて袋に入ってる高いほうのアポロを週3ペースで食べてるタイプのやな女でした。いつか高いほうのアポロ持って来なね、ばいばい。

 

祈りのたびに花が降る

 

いぬが死んでしまった。9歳だった。

もともとすこし心臓が悪くて、薬を飲んでいた。それでもまだ5年くらいは一緒にいられると思っていた矢先の急逝だった。

いま、むりやり過去形にしている。まだ受け入れられていない。視線をすぐそばにやると布にくるまれていつものクッションに横たわっているかれがいる。苦しかったはずなのに、整った安らかな顔をしている。晴れた日のこの時間にはいつもかれはそこにいて、死んだように横たわって日光を浴びていたからそれはいつもの光景とほとんど変わりがないのだ。苦しかった心臓はもう動いていないのだけれど。

 

「星になった」「虹の橋を渡った」みたいなことは言いたくない。

ここにあるのは、ただ温もりが引いていく、シンプルな事実だ。

 

気の強いいぬだった。

わたしのことを妹だと思っていて、気が乗らないときに触るとすぐ怒っていたし、撫でろとやってきても自分が満足したらもう撫でるんじゃないとやっぱり怒っていた。わたしの手にはいつもかれの歯の跡がすこしついていた。いまもまだ左手の中指の甘皮のところと、関節の真ん中に痕跡がある。たしか昨日噛まれた。

すこし調子が悪くなってひどい咳をしていたので咳をするたびに駆け寄って撫でさすることにしていたら、咳が止まってしばらくしても撫でていたら怒られたのだったと思う。

 

おなかを叩くとぽこぽこといい音がするいぬだった。

「なでろ」と背中を向けてくることがおおくて、よく後ろからおなかを交互に叩いた。ぽこぽこぽこぽこ、ぽこぽこぽこぽこ、大人しく太鼓になっているかれからは朗らかないい音がした。呼吸のたびにすこしおなかの皮膚が動くのが感じられて、体温が伝わる。ぽこぽこぽこぽこ、ぽこぽこぽこぽこ、かれがここにいてくれるだけのことがどれほどわたしにとって幸せなのだろう、そう思いながら叩いていた。

 

わたしは元死にたがりで、いまもたぶんほかの人よりはちょっと死を気にしながら生きている。

9年間、ずっといつか来るお別れの日をちょっとずつ意識しながら暮らしていた。

いつかお別れが来るけれど、いまはかれがここにいてくれて、すこしあたたかい。それはなんて幸せなことなんだろう。そう思いつづけていた。

9年間、ずっと、ずっと嬉しかった。

 

昨日の深夜、映画を観ていたら眠っていたかれが起きた。

咳をしながらわたしのいるリビングと寝室を行ったり来たりした。

映画を観ているわたしのところにやってきて、向かいからわたしをじっと見つめてから、「おいお前、撫でろ」と背中をこちらに向けた。

撫でたり、すこしぽこぽこしたりしてみた。からだで息をしていたからもしかしたらもうだめかもしれないとすこしだけ思っていた。

寝室にいた母をかれが呼び出してきて、3人で一緒にすこし寝た。

 

眠くて、今朝のことはあんまり覚えていない。

病院に行きたくなくて、リビングで寝ているわたしの真横に来てハーネスをもつ母に抵抗していた(これはわりといつものこと)。

ここから先は書いても悲しさが満ちているだけなので割愛するけれど、わたしは押しボタン式の信号が青になるのを待ってしまった。

すごく長かった。車が来なくなってもなかなか青にならなかった。

信号を無視して走っていたら、かれが息を引き取る瞬間に間に合ったのかもしれなかった。それくらいタッチの差だった。

 

母が花をたくさん買いにいっている。かれをたくさんのお花と一緒に籠にいれて見送る。

だれかのことを心の底から愛していると思える瞬間はそう多くない。

横にいるときも、横にいないときも。

 

この投稿を書こうと思ったときにまず、以前Twitterで見かけた話を思い出した。

死んでしまっただれかのことを思うとき、その人の周りに花が降る。

きっと、わたしの心の中にはこれからもずっとかれがいる。

たくさん、たくさん花を降らせる。

 

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2016年4月19日、一緒に花輪を作って遊んだ

Re: はる

ひと月とすこしのあいだで、おそろしいほど心がかろやかになった。
たくさんの肩の荷が同時に降りたのだとおもう、違う時期に買った化粧品が同時期につぎつぎになくなるのとちょうどおなじような具合に。

一月は三が日があけたら卒論をはじめようと思っていて、そのとおりにはじめたところ気がついたら締め切りの二十五日になっていた。何日徹夜したのか記憶にない。
論文は書くまでがほんとうにつらくて、書き始めてからもすごくつらかった。正直に言えば、終わったいまもけっこうつらい。
わたしの卒業論文は、在学中からうすうす感じていた自分の勉強不足をひとつひとつ確かめて明らかにする作業だった。

2年の終わりからなんとなくテーマは決めていて、3年の終わりにはもう最初の構想発表をしていたのにどうして関係する本を読まなかったのだろう。どうして調べたらわかることを整理して書くだけの部分(けっこうな部分がこれにあたる)を、締切月になるまで書かなかったのだろう。コロナ禍で図書館の開館がイレギュラーになっているのはわかっていたのに、どうして構想中にきちんと入手の難しい資料を揃えていなかったのだろう。どうしてもっとちゃんと授業を受けなかったのだろう。どうしてこんな状態なのにぼんやり修士に行きたいなんて言っていたのだろう。

自分を責める疑問詞ばかりが浮かんだ。

移動時間に「卒業論文 終わらない」でGoogle検索して、卒業を諦めろという知恵袋の回答を見てちょっと泣いた。

それでも入学前から取ると決めていたプラスアルファの過程をなんとか終えて、「大学での勉強」には苦し紛れながらも終止符を打てた。
とても満足のいく出来ではなかったけれど書き終えたことには書き終えたし、研究テーマのことを心から愛して、資料を手に入れて読む時間を楽しむことはできて、いちおう同じ大学内の同学年のなかではいちばん研究テーマに詳しくなったのではないかと自分では思っている。

卒論を終えたらすぐに内定先で呼ばれている仕事が忙しくなって、ついでに後輩と話をする機会も増えた。

この1年間(にすこし足りないくらいの期間)、ずっとずっと、なんでわたしがここに受かってしまったんだろうと思っていたのだけれど、いまは周りの人と素直に話をしてすこしわかったような気がしている。

わたしは前に立っておもしろい話をするのが上手なタイプではないし、筋道立てて周りに説明するのが得意なタイプでもない。ひとの話を聞いているふりをしながらたぶん8割くらいは内側のことを考えているので、ちょっと地に足がついていないタイプだ。
だけど、周りが見落とすちょっとした「おもしろい」のきっかけをしれっと見つけて拾ってくることはできる。周りが一蹴するようなちょっと変わった話を心から「おもしろいね」と言いながら聞くことはできる。

こういうことは、王道の就活では長所にはしてもらえない。うまく言葉にできていないかもしれないが、王道は「周りの人」がやってる方法で、彼らはわたしが見つける面白いものを見落としてきているのにそういうわたしの面白さをわかるわけがないからだ。

長所だと気づいていない長所を上手にアピールすることはできなかったから、本来もうすこし先に進むべきいろいろなところの選考の序盤でたくさん落ちた。
そういうなかでめざとくわたしの「おもしろい」を拾って共有してくれたのが、これから行くところなのだと思っている。



大学受験に臨む直前に、当時通っていた塾でスティーブ・ジョブズのスピーチをはなむけとして贈られたのをよく覚えている。

有名な話で洒落臭い話でもあるが、やっぱり人生は点の連続で、点は振り返らないと線にならない。

たぶん、これから引く線をしっかり予測してうまく点を打てるひとが一般的に世の中で成功するひとで、点をがむしゃらに乱打してしまうひとががんばっているのになぜか報われないひとなのだ。
わたしはふわふわーっと点を打ってあとからもっともらしく線を引けるタイプかなと自分では分析している。予測の試行数はおそらく前者なみに多いけれど、自分のなかでもその試行数をきちんと把握できていない。
選択肢を候補としていくつか挙げてはいるけれど、その選択肢の輪郭をぼやかしたままにしているのだと思う。
あとから繋げうる薄い点をいくつも持っている状態というべきかもしれない。


大学の入学祝いにジャン・クロード・エレナという調香師が作ったエルメスの李氏の庭というフレッシュな香水を買って、卒業祝いに彼の調香したエルメスのアンブルナルギレというディープな香水を買った。

いくつものものごとが収束に向かって勢いよく動いている速度を肌で感じて、あたらしいはじまりにすこしだけ胸が高鳴る。

正月に痩せる、水を失う

ずっと散文を書けていなかった。

散文というべきか、ここではまあ人に意味を伝える文章といったところの意味合いで、とにかく素直に人前で文章を書くことができなくなっていた。

思い当たる原因はいくつかあって、書いたものがまとまって(いちおう/ごく小規模に)世に出たり、進路が決まったり、すごく好きだった男の子と別れたりしたことが挙げられる。

具体的にどれが原因かはわからないし、ひとつひとつが別々に訪れていたらきっとこれほど筆から遠のくことはなかったのだと思うが、立場や展望の変化がめまぐるしく、自分の身の回りでなにが起こってなにを考えているのかを明らかにすることができなくなっていた。

行き先を見極めようとすればするほど、社会はわたしを必要とする。あるいは、わたしが社会を必要としているのかもしれないけれど、初夏から冬にかけて、自らのうちにこもる余裕はみるみるうちになくなっていった。

4月や5月にはさんざん就職活動への不満をもらしていたが、最終的にはなぜだか誰もが知っているような大きな企業に内定をもらった。
夢に見ていたような仕事、夢に見ていたような待遇で、はたから見れば順風満帆、前途洋洋といったところなのだろうが、当事者としてはそれほどにこにこしていられるわけでもなかった。

どうして自分がいまここにいるのか話すたびにわからなくなるほど周りのレベルは高いし、体力的にも不安がある。人間関係はこちらの身の振りかた次第だろうが、うまくやっていけないと感じてしまった場合の立て直しができるほど器用ではない。
不安だらけだ。不安だらけ、なのだ。

わたしは人と話すのが苦手だ。
さほど親しくない人と話せばうまい返しも相手に興味のあるそぶりもできず、ああ言えばよかった、こう言えばよかったと帰り道からひとり反省会が始まる。

打ち解けた気がする人、打ち解けたい人と話せばあれは言うべきでなかった、あれは完全にスベったと、こちらも帰り道からひとり反省会がはじまる。

文章は、会話とは違う。
ひとりでことばをじっくり選んで、自分の息とおなじリズムで吐き出せる。言いすぎるまえに精査ができて、足りなければつけたしもしやすい。

わたしの主たる戦場でありよりどころでもあった文章だったが、これまでの書きものをまとめたことでその文章でさえも明確にわたし自身をも評価するための材料となり、以前のように書き散らせば人間としての底の浅さが見透かされそうでおそろしかった。

これまで書くことで発散していたものをいかなる代替物を用いて発散していたかというと、代わりのものがなにも見つからず、すこしも発散できていなかった。

発散できずにいた間、不眠症は進み、さほど興味もない男に手を出し、無駄に自己管理のための筋トレや断捨離に時間を注いだ。

もやもやと負のエネルギーを溜めこみつづけた12月下旬、明け方に死にたいとSNSに漏らすほどにまで追い詰められた。
われにかえってから、これでは来年度以降ほんとうに自殺しかねないと感じたため、強制的に思考を解放するためのアウトプットをすることにした。

そのアウトプットは、編み物だ。
大きな毛玉と編み図を買い、棒針編みでもくもくとショールを編むことにした。
これが、信じられないほど精神衛生によく効いた。

初心者なので集中しないと綺麗に編めず、どこまで編んだかも忘れる。
編んでいるあいだは編み目の大きさとパターンだけに意識を注ぎつづける。肉体の疲労を感じたところで手を止めると、律儀に揃った編み目がある。

やればやるだけ上手くなり、やればやるだけ成果が出る。
なんてすばらしい営みだろうか。

不眠症は12歳ごろからの慢性的なもので通院しても一時的に良くなるばかりなので劇的に改善はしないが、それでも編み物を介した瞑想の時間があることで、入眠前にこの先の人生を考え、人生の終わりまで想像が行き着いたときに深い沼に落ちたようにバタバタと苦しむ瞬間はかなり減った。

生き延びる戦略を練るうちに自分の振る舞いひとつひとつに怯えるようになったわたしにとって、ちいさな動作を正しく無数に繰り返す編み物がどれほどの救いになったか。
きっと、これからも救いになりつづけるのだと予感している。

不揃いでも編み上げることがたいせつだし、手遅れになることはあっても間違えたら手直しをすることは可能だ。

丁寧に、もくもくと手を動かして、すこしずつ編み目を重ねる。

殻にこもる週の記録

 

 

ずっと自宅にいて誰とも顔を合わせないので、圧倒的に刺激が足りていない。

いつだったか忘れたが、夜中にうんざりしてベランダで日記を書いた。

 

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5月10日 日曜日

ゆるやかにカーブを描く川に沿って整備された道を歩いていた途中だったので、前に進むにしろ踵を返すにしろ自分の足を動かすほかなかったが、自分自身の力を使わなければどこへも行けないという事実に全身の力が抜けてしまいそうだった。

なにもない道を歩き続けることに、わたしは心底飽きてしまった。

 

ときどき、自分をどう扱えばいいのか自分でもわからなくなってしまうことがある。始末にこまるわたしは前触れもなくわたしを襲って、そのたびにだれかに迷惑をかける。
結局元来た道を素直に戻ることにして、その足でふと思いついて茶葉を買いに行った。

思いつきで出かけることにさえ背徳を感じる世の中に、わたしは適応しつつある。

 


5月11日 月曜日
朝はやく起きて軽い運動をしてから朝食にチーズケーキを食べた。

それから洗濯機を回し、洗い上がった部屋着やシーツを干すために窓を開けて外に出ると、物憂さのすこしもない陽射しにあたった。近くに咲くツツジだろうか、甘い花の香りがすぐそこまで漂ってきて、晴れやかな季節が肌で感じられた。玄関の扉を開けなくとも季節を知ることはできる。

 

完璧な晴天、完璧なステイホーム。

すこやかに家を保つこと。気に入った家具に身を委ねて好みの香りで胸を満たし、一人でもにこやかに過ごすこと。

これまでの日々でもっとも凪いだ生活だ。欠くことのない穏やかさは徐々にわたしを丸めていく。このまま滑らかになってしまえばわたしはどこにも留まれなくなる気がしている。

おにぎりのようにごろごろごろごろ転がっていく人になりはてる微かな不穏を感じる。

 

 

5月12日 火曜日
目覚まし時計が鳴っているはずなのに気がつかずに寝続けることが3, 4日に1度あるのだが、今日はその日だった。 

午前10時前に布団を出てゆるゆると身体を起動し、午前中に来ると聞いていた荷物を待っていたらあっという間に昼過ぎになっていた。

 

家でさほどかわり映えのしない自分を眺め続けることに飽きたので、ウィッグをかぶって全く違う髪色と髪型になって遊んでみたところほとんど別人のようになってしまって自分でも驚いた。
大学に入りたてのころを除いてほとんどずっと地毛もしくは地毛とほとんど区別のつかないような暗い茶髪で過ごしてきたが、似合わないと思っていた明るい髪色が実は黒髪よりずっと似合っていた。

「手入れが大変だから」「維持費がかかりすぎるから」となにかと言い訳をしつづけて髪を明るくしなかったことをすこしだけ後悔した。

 


5月13日 水曜日

朝起きてすぐオンラインで人と話して、昼寝してオンラインで人と話したらもう夕方になっていた。

2度目のオンラインでの会話は芥川の晩年の傑作と名高い短篇を題材にしていたので珍しくじっくりと芥川を読んだ。

目の前に広がっていたであろう情景を切り取ってコラージュのようにひたすら並べる様子はすこしわたしが目指している詩の姿に似ていると思っていたが、「この作品は精神病患者の思考のモデルケースとして医学部の授業で取り上げられることもある」と言われて思わず苦笑いしてしまった。

精神科医の詩論や吉増剛造さんの話を聞いてどうやら優れた詩とは異常と正常のあわいを切り取るものであるようだという認識はうっすらしていたものの、自分の目指す視座が社会にとって適切でなかろうものであると実感したのはこれが初めてだったので、わたしはもっと覚悟をすべきだ。

 

 

5月14日 木曜日

目にかかるほど伸びた前髪が鬱陶しくなり、自分で切ることにした。
もう何年も髪を任せている美容師はずいぶんと慎重で、思い切って眉上あたりまで短くしてほしいと頼んでもなんとなくいつもより短いくらいで完成させる。

切っている最中にもちろん長さの確認は都度取られており、鏡で見ていると彼が作る前髪の塩梅がちょうど良い気がするので「そのくらいで大丈夫です」と言ってしまうのだけど、毎度なんとなく丸めこまれたような気がしながらきれいに仕上がった髪の、ベルガモットのシャンプーの香りを嗅いで店を後にしている。
彼に仕立ててもらった比率はそのままに長さだけを短くするために、髪を下ろした様子を写真におさめそれを見本に先の尖った小さな鋏でごく少量の毛束を切る作業を繰り返した。

できあがりは想定よりずっとまともで、明日からもカメラに映れると安堵した。

 

 

5月15日 金曜日

すこしずつ生活の風向きが変わってきた。

 

ずっと、社会から切り離されている気がしていたけれど、家にいるままで社会とつながるすべを理解しつつある。

 

湯船に浸かりながら、はたしてわたしは社会人になれるのだろうかと考え込んでしまった。

社会人というのは社会の運営に多少なりとも貢献しているひとで、それは納税や勤労といった法で定められた義務を果たすことでもあるけれど、もっと本質的にはいまの社会に納得してその維持に努めるひとだと、いまのわたしは考えている。

就職活動はシステムに組み込まれるための儀式だ。

わたしはこの国のいまの社会が納得できないし恨みさえしていて、就職活動には最後まで馴染めなかった。社会を支えるひとは必要だが、歯車が静かに回るばかりでは静かに錆びていくばかりだとも思う。枠に組み込まれなかったひとができることもあるのではないだろうか。

 

5月16日 土曜日

朝8時前に起きて昼寝もせず活動していたはずなのに何をしていたかすこしも覚えていない。おそらく勉強をしていたらほとんど1日が終わっていたのだろう。

活動時間が長かった日は、目を覚ました直後の自分と眠りにつく前の自分が本当に同一の人物であるのか不安に思うことがある。

特に大きな変化もないはずであるのに、どこかで連続性がふつりと途切れている。その切れ目がどこにあるのか確かめようと記憶を辿ると、細かい時系列が特定できない時間のトンネルに行きあたり、それより前に遡ると途端に遠い日のわたしになってしまう。

そのくせ夜明けに見た悪夢はひどく鮮明に覚えていて、跳ね起きたときの心臓の強い鼓動と息苦しさはいまもまだ身体のすぐそばに潜んでいる気さえする。

朝はやく起きて日付が変わるころには眠るようになっても、わたしはやはりどうしようもなく夜の生き物だ。