平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

河川敷より愛をこめて


今年の秋はいつもよりすこしのんびり屋さんだったから、なかなかさようならを言ってくれなくて、わたしの好きな冬が来るのは遅かったように思う。
11月のまんなかくらいにようやく外に出ると、頬に冷たい風が当たるのを感じて夜のよそよそしい静かな空気を吸ったときはわくわくした。


人より水分が体から抜けやすい体質をしているから、蒸し暑い夏はこまめに水を飲まなくちゃいけないし、外に立って動かなくたって汗をかいてしまう。

たくさん動いているとあっというまに着ている服も髪の毛も水が滴るくらいに汗で湿ってしまうから夏のおでかけはおっくうだ。
そんなことだから、夏はそとを歩いている時だっていつもはやく涼しいところに行きたいとか、お水を飲みたいとか、ああどうしてわたしはこんなに蒸し暑い国に生まれてしまったのだろう、なんて文句みたいなことばっかり考える。一人の時は特にね。

けれど冬の一人歩きはそんな夏のけだるさとは全く違う、大好きないとおしい時間。

冷たい空気に身体を震わせながら、暗い道をひとりで歩く。お供の音楽はクールでちょっと気取ったエレクトロだったり、アコースティックギターに乗せた甘いバラードだったりその時々だけれど、澄ました冬はわたしの選んだ曲の邪魔をしない。

空を見上げてオリオン座の真ん中の三つの星、ミンタカを探す。月を見る。
終わりのない宇宙のことを考えるのは怖くて、夜空のことをきちんと勉強するのは避けているけど見上げるだけなら誰にも咎められないし、地面のずっとずーっと上にあるきらきらした紺色の大きな幕は切り取って素敵なスカートにしてしまいたいくらい好き。

好きな曲に耳を傾けて、控えめで他人行儀な季節に包まれながら、夜の河原を歩く。
いまわたしは一人でいるんだなってすごく思うけれど、不思議とその気持ちは不快なものじゃない。
わたしはわたしとしてそこにいるけれど、なんとなく他の誰かみたいに感じてこっそりと見ていたくなる。

自分を考える、ということは限りなく自分の好きなものとか大切ななにか、好きな誰かや会いたい誰かについて考えることに近いんじゃないだろうか。

だから、冬の歩道はわたしの宝物でいっぱいで、自然と足どりは軽やかになる。

冬の始まりは素敵なことの洪水の合図で、終わりには咲きかけの花のつぼみと晴れ晴れとした春の気配を残していく。
だから、冬が好きです。