平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

雑用

いま住んでいる家から祖父母の家までは、だいたい歩いて30分だ。
距離としては3kmくらいのものだが、それなりに急な坂をぐいぐい登らないとたどり着けない。真冬でも汗ばんでしまうくらいのちょっとした運動になるレベルだ。


手が足りなくて困っているからすこし手伝ってほしいと言われて夕方歩いて祖父母の家に向かった。
到着して汗もひかないままに、頼まれてリビングの大きな窓にかけられたカーテンを外す。
身長160cmちょっとのわたしが窓際に置かれた一人掛けのソファのひじかけの部分につま先立ちをしてかろうじて届くくらいの高さだから、確かにまだ若いとはいえ小柄な祖父母がカーテンレールに手をかけようとするのは危険だ。落ちて怪我でもされたらこちらもたまらない。


ひょいとよじのぼって外したカーテンを床に降ろして、新調したオイルヒーターとプリンターが入っていたダンボールの解体に移る。
どちらも自宅で個人事務所を営む祖父の仕事部屋に入れるために買ったもののようだった。プリンターはすでに置いてある業務用のものの半分くらいのサイズではあるが、一般家庭に置くには大きくて、当然梱包も大ぶりだ。

腰のすこし下くらいまで高さのあるダンボールを体重をかけ、時々カッターを使いながら展開図のような平らな状態に戻した。続けてオイルヒーターの箱も四隅を開いてちいさく畳む。

折られてコンパクトになったダンボールのかたまりをいくつかにわけて紐できつく縛って、和室の壁に立てかけたらミッション終了。

ここまでをひとつづきでこなしてようやく、ロング丈の大人しそうなワンピースのまま軍手をはめて足でダンボールをがしがし蹴りとばす自分はちょっと男らしすぎるかもしれない、と気がついた。

だってわたしは箸が転がるだけでもおかしい年頃、花も恥じらう十六歳なのに。

世の中の女の子は髪を巻く方向に一喜一憂して、黒々と瞳をふちどる長いまつげ越しに鏡をみてほほえんでいるんじゃないだろうか。あるいは好きな誰かと微妙な隙間をあけたまま、暗くなった帰り道を歩いちゃううれしはずかし青春の一ページなんてものを謳歌しているのかも。

ものごころついたときに両親は離婚、以降の十数年間はずっと母子家庭、頼れるはずの男手はわたしより小柄な、冷蔵庫にものを取りに立つのすら嫌う祖父のみ。
5年前に女子校なんていうサファリパークに入ってしまったのがわたしの運の尽きだった。


家では母と二人で家具を買ってきて運び入れてトンカチとドライバー片手に組み立て、学校では生徒会の下っ端や弱小英語部の部長になって文化祭前には15キロのダンボールの箱を抱えて運んだり、展示に使うパネルのポールを肩にかついで走り回った。

瓶の蓋だって素手で開けられなければ濡れたタオルをかぶせてでも逆さにしてでもふりまわしてでも開けられなければいけない。

余った仕事があれば率先してやってしまうしゴミが散らかっていれば拾うし伝書鳩代わりに校内をダッシュしたこともあった。

こうして、力仕事だってどんとこいの雑用係ができあがってしまったのだ。


先日、あるイベントでたまたま手が足りなくなってしまったブースのお手伝いをした。
中身の詰まったダンボールを数十センチ移動をさせようすると、男性陣がわたしの手から箱を取りあげて軽々と動かしていった。

「女の子は腰が弱いんだからあんまり無理して重いもの運んじゃダメだよ」

衝撃だった。
わたしは確かに女の子なんていう、力仕事を眺めて空のスーツケースをガラガラ転がすだけでも許される人種の一員だったのだ。


今日、動き回りながらその日のことを思い出してふと思った。
わたし、あと十年もしたら「一人でも生きていけそうだし結婚とかしなくて良さそうだよねー」なんて言われるタイプのひとになってしまうんじゃないだろうか。

重いものを重いから運べないって誰かに任せられる環境が、切実に欲しい。

細かいこととか手間のかかる仕事は引き受けるので、お願いします。