平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

高い敷居について


いつもみている好きなバラエティ番組で、歌手志望のお姉さんの歌詞ノートを読みながら芸人がその内容をネタに笑っている場面があった。

自分に関係があるわけじゃなくても、すごく傷ついた。

お笑い芸人だって、おもしろいことを考えてお客さんを笑わせる表現者なのに、素人だからって、売れていないからって、ベクトルは違えど同じことをしているひとの表現を指さしてバカにしちゃうんだ。

その場ではぼんやり流したし、誰かに言うことはなかったけど、しばらくあたまの中にひっかかっていた。


なにかを表現すること、とくに歌詞とか文章は、自分の本質をそのままさらけ出すことだと思うから、わたしにとって作品をバカにして笑うことは作者自身を軽んじることに等しい。

世の中にはたしかに持つ者と持たざる者がいるということはわかっている。
けれど、どちらかを判断することってむずかしいことだと思う。
つたなくて、質の低いものをつくるひとでも磨けば光る原石かもしれないのに。


なんというか、こういうことに遭遇すると、自己表現はとりあえずかっこわるい、みたいな風潮をどうしても感じてしまう。

最初は自己陶酔にあふれたものでも、つっこみどころ満載でも、とりあえず最初の一歩を踏み出さないとなにもはじまらないし、自分に才能があるかなんてずっとずっと先でしかわからないかもしれないのに、踏み出したところで周りに笑われたら、そこでくじけてしまうひとはとても多いのではないだろうか。
すくなくとも、わたしは間違いなくくじける。

こうやって文章を書いていても、自分ではこれが自分に酔いしれている行動なのかそうじゃないのか、ひとにどう伝わるかは全然わからないから、読んでくれるひとがそんなに多くないのはわかっていても、公開するのはかなり怖い。

もっともっと、自己表現があたりまえの世の中になればいいのに。あるいは、胸をはってわたしの文章を読んで!って言えるような自分になりたい、な。