平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

日々

中学のときの話をすると図書館および読書のネタばかりで、部活のことをほとんど書いたことがなかったので思い出しつつ今日はすこし。

わたしは、中学の3年間は英語部に入っていた。
留学経験もあるし、英語が得意だから「そんなに英語が好きだったんだね!」と言われることがあるけれど、本当は軽音部に入りたかったのに定員オーバーでくじ引きに外れたからしかたなく英語部に入っただけだ。

一緒に部活見学をしていた友達の希望でついていったら、先輩がすごく優しくてすてきな人たちばかりだったのに、いまは部員が4人しか在籍していないから存続の危機にあると聞いて、それなら第二志望にでも書いておいてあげるかーと思って適当に書いただけだったのに、わたしはくじに外れて英語部になった。

一緒に第二志望に英語部を書いた友達が4,5人いたのに、みんな第一志望の部活に所属が決まり、そわそわして初めての部活にいったらなんと新入生はわたしだけだった。

先輩は、3年生が3人と2年生が1人。
そこに1年生のわたしが加わって、5人。
わたしが通っていた学校は部室がなく、クラスの教室を放課後貸してもらう式だった。
活気があって、隣の人との間隔が狭くてきゅうくつだなあと感じていた40人の教室は、5人で使うとびっくりするくらい広かった。

先輩しかいないし、同じ学年の友達できないし、1年間どうしよう……。そう思った。
けれど、完全に余計な心配だった。

穏やかで賢くてときどきおちゃめな部長さんと、知的で凛とした生徒会長を務める先輩と、口数は少ないけどいつもにこにこしていて、洋書をさらさら読む先輩、絵がものすごく上手くておしゃべりな2年生の先輩とはすぐに仲良くなった。
2年生の先輩は3年生の先輩のことを○○ちゃん先輩と呼んでいたから、わたしもそう呼ぶようになった。

部活は年2回学校で開催されているスピーチコンテストと5月くらいの外部の朗読コンテスト、文化祭、年度末の文化部発表会で思いのほか暇をもてあますことがなかったが、何もないときはだいたい英語の人生ゲームかモノポリースクラブルか黒板を使って1分以内に決められたアルファベットからはじまる単語を思いつくだけ書くゲームをしていた。

入部してすぐにあった外部の朗読コンテストは録音した音源を提出する形式で、放送室を借りてスタジオに一人で入って朗読をした。
部員全員優秀賞をもらって、和英辞書をもらった。

夏の部活は、回数こそ少なかったけれど、朝から夕方まで先輩と一緒で、文化祭の準備をしていた。たった5人で教室をまるまる使って出し物をしなくてはいけなかったから知恵を絞って考えた結果、世界旅行巨大すごろくを作った。
炎天下にみんなで買い出しに行って、住宅街の中にある、家の一室みたいな古びた文房具屋さんで模造紙や絵の具をたくさん買ってちょっと負けてもらったりした。
住宅街はどこまで行っても同じような道が続くから先輩たちはこれまでときどき迷っていたらしく、その文房具屋さんは「あったりなかったりのお店」と先輩たちに言われていた。わたしは3年間で一度も迷ったことなかったけどなあ。

帰りには暑いからこっそりコンビニに寄ってみんなでアイスとお菓子の大袋を買って、アイスを食べながら帰った。

夏休みが終わってから文化祭前日まではそれまで週2だった部活が週4に増えて、みんなでたくさん絵を描いた。部長さんが描いたマーライオンのつもりのふにゃふにゃのなにかを見つけた生徒会長の先輩が大笑いして、部長さんはしょんぼりしていた。最終下校時間を過ぎて生徒会の追い出し係に捕まると部活停止になるから、ぎりぎりまで作業して大急ぎで片付けて捕まらないように走って帰った。

そうして必死に準備してようやくやってきた11月の文化祭は、設営から忙しくて走り回ったし、シフトがつめつめでほとんど他の部屋を回る暇がなかったけれど、楽しかった。部活のシフトのほかに生徒会から頼まれる模擬店のシフトがあって、先輩と一緒にドミノピザを売った。1時間半のシフトでたくさんピザを売って、なぜか途中でバイトの大学生のお兄さんに「君たちが店頭でおいしそうに食べてたら売れるから好きなもの食べよ!」といってタダでピザを食べさせてくれた。

思いのほか長くなってしまったから、続きはまたあした。