平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

ひとすじの

新生活がはじまって14日ほど経った。
平気で2,3日家の外に一歩も出なかったような生活から一転、週6日ペースで夜は外食、帰りははやくて21時、みたいな全力疾走で坂を走りおりるような余裕も安定感もない日々をすごしている。


正直、ともだちはまだいない。
あいさつするような顔見知りとか、たくさんの人たちの中でひとりで心細いときに一緒にいるような知人はできた。LINEの友だちだって40人くらいは増えたと思う。
けれど、ひとりの時間を減らしてでも一緒にいたいような、ふとなにかを目にしたときに「ああ、あの子に伝えなくちゃ」なんて思い出すような、そういう誰かは現れない。
なんとなく、屈託なく笑う明るい子たちには、世界への根ざし方が違いすぎる気がして、気おくれしてしまう。だから、きっと自分から壁を作っているのだと思う。

わたしは本を読むこととか考えごとをすることが好きで、ひとりの時間の使い方に困ることはないし、ひとりでいると比較的楽しく過ごすことができる(とすくなくともわたし自身は思っている)。
よく知らない子と四六時中一緒にいて、話題もことばもおそるおそる選んでぎこちない会話をするよりは、ひとりでいることを選びたい。
けれど、同じ文脈を有するともだちといる時間はひとりの時間よりずっと視野が広くて刺激的で、たのしいものだということも知っている。
わたしにとって"誰か"と過ごすことはつまらないものでもあり、たのしいことでもあるから、積極的にひとに関わろうとしないのにさみしがりな一匹狼ができあがってしまう。


だれかがわたしに好意を持ってくれていてもわたし自身がその人に興味を持てないと関わらないようなともだちの選別を、覚えていないようなちいさいころからしてきたらしく、おそらくいまさらどうすれば変われるというものでもない。でも、なんとなくもやもやしつづけている。

お風呂あがりに濡れた髪を乾かしながら黒髪のすきまにのぞく金のメッシュを見て、ああ、ひとすじの光をわたしは探しているんだなあとふと思った。

ぶ厚い雲をやぶって差し込む、まばゆくてまっすぐ見られないような、手を伸ばさざるをえないようなきらめき。
待っているだけではなにも変わらないし、しっかり顔を上に向けて探さないときっと見つからないけれど、自分がくるくる走っていてもどうにもならないこともたぶんあるから。