平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

壊れた鍵穴

季節は息をしているだけでも確実に、容赦なく過ぎていく。満開の桜の下で、春風に吹かれながら記念撮影をしたばかりだと思っていたのに、寒々しかった並木はあっという間に緑に茂って、アスファルトの道路の先にはかげろうが揺らぐ時期になってしまった。

映画を観るひまもなくなってしまったくらい毎日まいにち忙しいけれど、わたしはなんとか生活に適応して、友達を作って、げらげら笑ったり歯を食いしばって涙をこらえたりしながら生きている。きちんと、生きていけている。

前を向いて、ぐいぐい大股で歩みを進めていくしかないような日々だけれど、ときどき立ち止まってまわりを見渡してみる。
13歳のわたしの馬鹿な話も、17歳のわたしの死にそうな話も聞いてくれた友人たちはわたし以外はだいたい同じ大学に通っているのだけれど、彼女たちもあたらしい環境でそれぞれにちがう道を勢いよく進んでいる。

ときどき会って話をすると、やっぱり彼女たちはわたしのことをよく知っていて、わたしも彼女たちのことをよく知っているから、ずっとずっと一緒にいたような、離れていた時間なんてないような気がする。
ああわたしたち大きくなってしまったねぇ、でもやっぱり一緒にいると楽しいねぇなんて言いながら近況報告をして、げらげら笑って。そんな時間はあっという間に終わってしまうけれど、きらきらしていて、爪くらいの大きさのちいさなころころした宝石みたいだと思う。

いまではもうひとつひとつをはっきり思い出すことができないようなちいさな宝石をたくさんたくさん一緒に集めたから、彼女たちと過ごす時間はあんなにたいせつな愛おしい時間になっているんじゃないだろうか。宝石箱をながめているみたいな。

時間は巻き戻せないし、鮮やかに目の前に存在していた世界は刻一刻と奥行きのない過去に姿を変えていく。
わたしだって、わかっている。
だから、彼女たちと宝石を確かめあえる時間はたいせつなのだ。

けれど、宝石は、そこにたしかにあったことを覚えていても、どんなにわたしが愛おしく感じていても、もう触れられないこともある。宝石箱の鍵は、わたし一人では開けられないからだ。

わたしは、たぶん、たいせつな友達の過去に閉じこめられてしまった。わたしはまだまだいっしょにいろんなことをしたかったけれど。
そういうこともある。わかっている。
だから、さようならを言わせてほしい。もしもこれを見ていたら、わたしの勘違いだったら、そう教えてほしい。正解だったら、それでいいから。

ねえ、おぼえていますか。
いっしょにいろんな話をして、いろんなところに行って、楽しいことも、人には言えないような危ないことも、たくさんあったよね。
きみにとってはいろあせた、たとえ思い出したくない何かになってしまったとしても、わたしにはずっとたいせつにしておきたい宝物です。
だから、ありがとうね。さようなら。

ひさしぶりに文章を書いたら、よくわからなくなってしまったな。おやすみなさい。