平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

季節は次々死んでいく

夏が死んだ。たぶんしばらくは戻ってこない。

冬生まれのわたしはやっぱりどうしようもなく寒い日が好きで、ぶあついコートを着て、マフラーをぐるぐる巻きにして、待ち合わせた友だちとか好きなひとと歩きながら「さむいね〜」って困ったような顔で笑いあうあの瞬間をたまらなく愛おしいと思うのだ。

だから、書かなきゃ。いまのわたしが考えたなにかを正直に誠実に、きちんと書いて、残さなくてはいけない。そう思った。
なにもせずにぼんやり何者でもないただの大人になってあとなら泣き言を言うくらいなら、せいぜいまだ何者かになれるかもしれないと思っているこの瞬間にもがいてあがいてそれからあきらめをつけたいもの。

わたしがはじめて"いつか自分も死んでこの意識はなくなってしまう"ということに気がついたのは小学校3年生か4年生のときだった。朝の通学電車のなかで梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を読んでいた。
学校の最寄りについて、ホーム階から改札階へのエスカレーターに乗りながら自分の人生は永遠に続く物語ではないこと、わたしの意識は時間を超越した俯瞰的な語り手ではなく主観を持った人間のものであることに朝の陽射しを受けた明るいエスカレーターに乗りながら突然気がついてしまった。自分の輪郭がなくなって、世界がぐらぐらした。とっても怖かった。

それ以降、地下鉄とかお風呂とかベッドの上とか、暗い場所や狭い場所にいるとふと死ぬことを思い出して怖くなってしまう期間が6年くらい続いた。つまり、おさまってきたのはつい最近のことだ。

おさまったいまでも、本当にときどき一度死んだらもう自分は戻ってこないであろうことが怖くて怖くて仕方なくなるときがある。宇宙がいつかはなくなることも怖い、永遠に無くならないことも怖い。いまも、正直書きながらちょっと輪郭をなくすトリガーを引きそうになる。

けれど、有限だからこそ、一回限りであるからこそ、わたし自身の感じたこと、考えたことはそれだけで特別で大切なものになる可能性がとても高いんじゃないかと最近は思うのだ。

だから荒削りでもなんでもいいからとりあえず文章をきちんと書いて出そうと思って書いただけの文章です。