平静とロマン

平成生まれの大正浪漫19歳

プリズム

わたしの日々は拡散し続けている。
インターネットでバズを起こすわけではない、新たなひとと出会い続けているわけでもない。
集約の対義語としての拡散だ。


わたしの日々は、拡散し続けている。
現在、大学に入って1年8ヶ月ほどが経とうとしている。
ゼミの選考が控えていたり、ひとつ上の学年が就活を本格的に始めていたりと、自分の舵を切る先について考えさせられることが多い。
そうすると、自分の大学生活、ひいては人生といったどこかぼんやりとした、けれど大きなことばで表現されるもののことばかりが気になってしまう。

大きなものはむずかしいので細かい要素に分解して考えたい。
しかし、どこから分解していいのかわからない。
10年後のなりたい姿?自分が本当に好きだと思えるもの?はたまた現状?
どれを取ってもよくわからないことばかりで、結局思考することを諦めなあなあにして目の前の生活をただ消化するだけの日々に陥る。

ほんとうは、本だって読まなくてはいけない(読みたい)し、映画だって観なくてはいけない(観たい)名作がまだまだたくさんあるし、服だって髪型だって体型だって諦めたくない。喫茶店もパフェも気の利いた店も、諦めたくないのだ。

現状本分である法律学の勉強だって、しなくていいと思っているわけではない。ちゃんと取り組めば楽しくなることだってうすうすわかっている。ただ、したいことがほかにもっとたくさんあって最終的になかなか手が回せないのだ、ほんとうに。


幼い頃から、いろんなものを後回しにしてきた自覚はある。
宿題、時間割、お片づけ、歯みがき、家事。

ぎりぎりになってから取り組んでも勉強だけはなんとか上位1〜20%くらいに入ることができていたからまわりの大人は勉強以外のことにも甘くて、だれにも指摘されないまま結局大学進学だって勉強したいと思っていた分野の学部より、自分の人生のリスクを取ることを後回しにできる学部を選んだ。

結果、いまの大学を選んで良かったとは本心から思っているけれどいまの学部に来た意味は未だ見出せず、行かなかった芸大、行けなかった東大にありえたはずの輝きを落としてきたような、ほんのり苦い気持ちになってしまっている。

まわりの大人のせいにしたいわけではないのだ、ただ、自分が自覚するまでにいまのいままで時間がかかったということで。


好きなものの探求だってより楽なもの楽なものへと流れていって、結局Netflixですぐに観られる名作映画やアニメだけを観て、文豪の本は買うだけ買って読みきらずに満足している。

美術館だって気になった企画展をふらふら回るだけで詳しくなった気になって、美術史の知識は大学受験に毛が生えた程度しかない、服や化粧品だってこだわりがあるふりをしながら結局惚れ込んだ高級ブランドなんてなくて古着やプチプラでなんとなく生きているのだ、だから気になっている喫茶店やカフェの季節限定メニューなんてわざわざ行けない。


なんにでもすこしだけ詳しくて、なんにも知らないわたしの日々は、拡散を続けている。

世渡りのうまくないわたしはジェネラリストよりスペシャリストになりたいのだ、もう後回しにしたくないのにまた散らかった部屋を見てため息をつき、あしたの自分に期待をしてしまう。