平静とロマン

平成生まれの大正浪漫20歳

選びつづける毎日を


はてなブログから、1年前の記事だよ!とメールが来た。


ことばを選びたい あなたに選ばれたい - 平静とロマン


去年のいまごろのわたし、苦しかったねえ、それでもその苦しさを良い文章(わたし比)に変換できているだけえらいし、それだけで苦しくて仕方がなかった1年間に意味はあったんじゃないか、と読み返してしみじみと思った。

詩を書きはじめて1年がたち、先日ちょうど詩人を囲んだ飲み会にも参加した。
去年のわたしからすると随分趣味のよく合うすてきな友人や大人に恵まれ、幸せに暮らしている。

おととし1年かけてボロボロにした身体はなかなか治らなくて、いまでも無理やり起きて動くとほぼ半日ゾンビのような状態になってしまうが理解のある環境でなんとか生き延びている。

穏やかに入眠できるようになって、線路を見ると怖くなることもなくなった。読みたいと思ったときに読みたい漫画や本を読んで、観たい映画やアニメを観られている。はじめて自分で舞台のチケットを取って観に行ったり、好きなバンドのライブを観にひとりで北海道に行ったりもした。幸せ、なのだとおもう。たぶん。


遠ざけてしまった大切なひとともきちんと話をすることができた。豊かな文化も取り戻した。なんとなくこう生きたいという理想の自分像も見えてきて、1年でずいぶん大人になったと自分でも感じる。

それでもなぜか満たされないのはきっと隣の芝生は青い的な余剰の欲なので、もっと手に入れたいのならあとは自分が努力をするほかない。


ことばは、いまでも選びたい。選び続けたいとおもっている。

詩を書きはじめて1年経った。書いて、ほかの人の作品を読んで、朔太郎賞や中也賞を取った詩人の方たちに作品を見ていただいて、感じたことはたくさんあった。基本的に自分の作品が大好きだし、書いた直後はだいたいいつも天才なんじゃないかとうっとりしているが、凡庸で稚拙な表現ばかりを連ねているようで自分と自分の作品に嫌気がさすこともある。
まだ2年目なので、作品の良し悪しとかはよくわからないし(とくに自分のは)、きっといろんなものを見て、読んで、書き続ける以外に上手くなる方法はない。


詩については1年やった程度ではよくわからない、わからないのだが、書き始めてすぐに感じた、具体的な描写では捉えきれない微妙な心の動きの輪郭をなぞって浮き上がらせる作業が“詩を書く”ということだという考えはいまでも同じだ。

なので、穏やかで幸せな生活のなかで心が強くなってしまったら、繊細な動きなどなくなってしまってわたしが書く詩に良さなんてなくなってしまうのではないかしら……と少々心配しつつ、それでもまあまあ幸せであることに感謝をしてできるだけたのしく生きていきたいと考えている。


あと、すこし先にすすめたいまのわたしから、去年のわたしにいいたいことがひとつあり。

あなたは、タイトルにするくらい、自分以外のだれかに選ばれたいと思っていたようだけれども、それってすごく苦しかったんじゃないだろうか。

選んでくれるだれかをなんとなく待ち続けて今日も来なかったって嘆くより、自分を自分で認めてあげるほうがずっとはやくて楽で安心だよ。

とつぜん手放される恐怖もないし、わたしはわたしから離れられないので自分が昨日より愛せる自分になれたら気づかざるをえなくて最高です。わたし史上最高なわたしに他人が気がつかないわけないのでもともとの目的も果たせて結果的にうさぎが二羽とれます。
昨日を超えていけー!