平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

雲の上に

 

昨日、一時的にスマートフォンのデータが吹き飛んだ。

うすうす予感はしていたためある程度の対策をしていたこともあるが、ほとんど失ったものがないことに驚いてしまった。「インターネットになりたい」「肉体を捨てたい」とつねづね言っているが、わたし個人のインターネットへの外在化は想定よりずっと進んでいて、馴染みの街にいたはずなのに知らない土地に来てしまったような心細さを唐突に覚えた。

 

きっかけは2年ほど使っていた端末の不調だった。破損したファイルなどのゴミになったデータが容量を圧迫していて必要なアプリが取り除かれてしまうようになったのでクリーンアップのためにPCにバックアップを取って必要なデータのみ復元をするはずだったのだが、作成したばかりの端末のバックアップが“端末の容量不足”で流し込めないと言われた。

しかたがないので、メッセージアプリなどのバックアップを個別に行いつつ、初期化を行った。

容量の圧迫によってアプリが削除された影響で9月以降の写真はふだん使っているバックアップサービスに接続できなくなっていたので、元どおりになると思っていても、初期化を選択するときはすこしためらった。

 

端末を空にし、再度復元を試みる。

復元の時間を計算中……

 

復元の時間を計算中……

 

復元の時間を計算中……

 

ここからなかなか進まない。

 

ようやく復元が始まったのだが、残り時間1分……という表示から、3分、45分、57分、1時間、とどんどん表示される所要時間が延びていく。

2時間、3時間、6時間、8時間。

 

これはおかしいぞ、と思った。

進捗を表す緑色のバーはいっこうに面積が増えず、残りの所要時間の数字だけが増していく。

 

「読み書き中にエラーが起こりました」

「不明なエラーです」

 

3度ほど繰り返したところで、今度は音楽データ以外ほとんどなにも入っていないはずのPCのストレージがいっぱいになったと通知が来た。

内訳を見てもPCのストレージを占めてしまうような大きなデータはどこにも見つからず、パニックになる。

ディスクのクリーンアップを行っても、よくわからないコードを青黒い画面に打ちこんでディスクチェックを指示しても、開放されない。

期限切れのウイルスソフトの更新の催促と、復元を必死に試みるiTunesの活動でメモリの貧相なわたしの安物PCは動きを止める。

 

終わった……。

 

バックアップの取り始めからこの時点ですでに3時間ほど経っており、まもなく日付が変わろうとしていた。

翌日も午前中から予定が入っていたため、わたしはここであきらめた。

 

あたらしい端末として新規設定を始める。

近くに置いてあったiPadが、なにもかも忘れたわたしのiPhoneに初歩的なあれこれを教えこんだ。

Wi-Fiやパスコードの設定がスキップされ、日本語かな入力、イギリス英語、簡体字アルファベット入力、繁体字手書き入力、という面倒な組み合わせのキーボードの設定もそのまま再現された。

メッセージアプリのアカウントもそのまま。各SNSのアカウントに特に変更はない。予定をすべて入力し、家族や恋人と共有しているカレンダーもクラウド管理なのでなにも変わらない。お気に入りのカフェやレストランのリストも、いま抱えているタスクの進捗も、いままで書いた詩も、よんだ本の記録も、音楽のライブラリも、アプリを入れていつも使っているアドレスを入力すれば、ほとんどがそのまま見られた。

 

失われたのは、9月中旬以降の写真でSNSにアップしていないものと、歩数記録と、専用アプリでローカル保存していた靴のメンテナンスやサプリの服用など細かなライフログだけだ。

 

作品も、考えていた痕跡も、いままで出したレポートや発表に使ったレジュメや講義のメモすらも、そのまま残っていた。

 

わたしがオフラインで所有しているものは、数百冊の小説・漫画と、服と、自分の肉体だけだ。

わたしが生きている痕跡はすでにほとんどがインターネットの上に積み上げられていて、それはわたしが死んでもきっと整理されることなくそのままオンラインに残り続ける。誰にでも見られるようにしてあるこのブログやTwitterInstagramはそのまま残って、目にした人はきっとそれを書いた人がすでにこの世にいないことを知るするすべを持たない。

 

わたしがオフラインのみでしていることは、友人や恋人、家族との他愛もない話、生命維持活動、アロマテラピー、紅茶とパフェを楽しむこと、移動、くらいだ。

 

わたしのほとんどは、すでにインターネットにあることに、気がついてしまった。

インターネットデトックスなどできるわけがないのだ。現にこうして日記を書いていて、友達との会話やお出かけもインターネットを介さずには成立しない。

 

壁紙や細々したアプリの設定をするのが面倒で、PCと格闘のすえ最終的には元データを復旧させたが、戻ってきたと安堵したものは”ここ最近の思い出“だった。

 

存在の消滅は、インターネットによってより緩やかになっていく気がする。

誰かにわたしの考えたこと、わたしの生み出したものを覚えていてもらうために、わたしはこれからも筆をとる。青い光を放つ画面に向かって、小さなキーボードを叩き続ける。