平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

ずぶ濡れ

 

 

5月はプロメアに命を救われて、6月は君と波にのれたらでよどみきった心を浄化していた。

 

TRIGGERと湯浅政明監督と、好きでずっと追っているアニメクリエイターが同時期に消防士をメインキャラクターに置いて、まったくちがう切り口で鮮やかに火事を消火して、鑑賞者としてこんなにエキサイティングなことがあるかしら!と思っていた。

夏アニメにもなぜか消防士ものが2本もあって(どちらも観ていないけれど)、ことしはやたらみんな消防士が気になっているのだと思っていた。

 

そうしたら、7月、こんなに大きい火の事件が起きてしまって。

聲の形リズと青い鳥は劇場に観に行ったし、ヴァイオレットエヴァーガーデンも楽しみに観ていた。

 

でも、それだけで、なにも関係ない一般人のわたしがインターネットでなにか声をあげるのは全然違うと思っているのでできるだけ黙っていた。よほど思い入れのある著名人でなければ、訃報にも言及しないようにしている。

目に入らないだけで毎日たくさんの人が亡くなっていて、彼らの死をわたしは悼むことなく生きている。名もない彼らの死は悼まないのに、名前を知っているだけの会ったこともないよく知りもしない人への追悼の言葉をインターネットで発信するのはその人の死を自分のインターネット活動のネタにしているように感じられるから、わたしはしない。死は誰にとっても悲しいことで、共感を集めやすい。けれど、当事者に届かない言葉を小さな感動で放り投げて5分後に忘れてしまうくらいなら、静かにオフラインで祈りたいとわたしは思っている。

 

という気持ちがあるので、「日本の至宝がこんな形で死んではいけない」などという、亡くなった彼らの持っていた技術の高さを惜しむ外野の発言に小さな違和感を感じていた。たしかに正しい、正しくて真っ当な追悼だと思うのだ。でも、人は誰でもこんな形で死んではいけないのではないか。彼らだけではなくて。亡くなった人々のエピソードを流す報道番組の意図も見出せず、ただうっかりつけていると耳に入ってしまうので、心を痛めながらテレビをそっと消していた。

明確な憤りや、憎むべき敵もおらず、違和感が心をすり減らす。

 

今週は参院選もあった。

20歳になったが、恥ずかしながらいままで一度も選挙に行ったことがなかった。いままでは予定と被っていることがほとんどで期日前投票のやり方など知らなかったし、政治家なんて9割がたクソだと思ってたから知りたくもなかったしどうでもよかった。政治が云々以前に社会に拒まれている感覚があって、ずっとこんな国出ていってやるとも思ってたし。

 

今回選挙に行こうと思ったのは、成人して国民年金を払わなくてはいけなくなったからだろう。

いや学生だから払わなくてよいのだけど、免除してもらっているだけで。紙を見て、月々1万6千円も払わなくてはいけないことにびっくりした。われわれの世代が払った年金なんて、まったく自分たちに戻ってこないのに?わたしのことを邪険に扱う、歳を取っているだけで尊重されて当然だと思っているじーさんばーさんを養うために、1万6千円も払わなくてはいけないの?

「情けはひとのためならず」が成立するのは巡り巡って自分に返ってくると信じていられるからだ。国から返ってきません!と宣言されているのに、ほかのひとたちはどういう気持ちで払っているのだろう。世帯年収が中央値を上回るまあまあ恵まれた家庭に育ったけど、それでも月に1万6千円余分にあればけっこう嬉しくなる。それでも年金の書類には「あなたのためです!払ってください!」と平気でアピールしてくるので信じられない気持ちになった。

 

実質賃金は下がっているのに消費税は上がる、上の世代のために少ない手持ちの金を巻き上げられる、誰にも迷惑をかけないはずの夫婦別姓すら認められなくて、どうしてこのままでいいなんて言えるんだろう!大人も若者が動けば世の中は変わると言っているし、選挙に行かなくちゃ!と、ある種の切迫感に駆られて選挙に行った。(どうでもいいがわたしは夫婦別姓支持者だ、自分の名前の響きがはちゃめちゃに好きなので)

 

それでも、蓋を開けてみたら、投票率は歴史に残るくらい低くて、ふつうに与党が勝った。わたしなんて1億何千万かの1でしかないっていうことは充分わかっていて、その小ささもわかっていたつもりだったけど、どれだけ切実に変わってほしい!と思っても世の中なんて動かないんだなーと思った。

そして、こんな国、早く出て行こうと思った。

わたしは高校のときに留学をしたことがある。留学直前に睡眠障害にかかっていたから日本では先生にもクラスメイトにも「勉強はできるのに怠け者のアウトサイダー」として扱われていて、自分がいけないのだとしんどい思いをしていたけれど、海外にきたら生きていくことのハードルの低さにびっくりした。真面目でなくても、時間に正確でなくても、努力家でなくても生きていていいのだ。それらは備わっていれば評価されることであって、必須事項ではないとされていた。ほんとうに生きやすかった。

日本では出る杭として打たれつづけていたわたしでもふわっと受け止めてくれるところに行ったから帰りたくないと泣いて、残らせてほしいと親に交渉するくらいには本気でそこを居場所にしたかった。

それでも日本に戻ってきて日本の大学に通っているのは、日本のカルチャーや東京という狭くて奥行きのある街を愛しているからだし、文句を言ってもなんだかんだ母国日本で受け入れられたいという気持ちがあったからだった。けれど、選挙の結果を受けて、けっこう本気でこの国はもうおしまいだと思った。せっかく意思疎通が問題なくできる程度には英語が話せるのだからさっさと海外の居心地のいい場所に出て、自滅する国のことなんて忘れてしまおう。実現するためにどうしたらいいかはわからないけど、長期的なスパンの話なのでこれから長期的に考える。

 

大学のテストは迫っているのに変な気候に負けてしまってずっと焦っているし、世の中を見ても嫌なニュースばかりだし、しっかり雨が降ればいいのに変な曇りばかりだし挙句にたいして期待もせず観に行った天気の子にモヤっとしたりとほんとうにほんとうに「微妙に嫌なこと」ばかりで気が滅入ってしまった。それなのに、体調不良が重なって気分転換をする気力・体力も時間もないのでひいひい言いながらぎりぎりを生きている。

 

こういうときの捌け口に詩を使いたくないので、ただ乗りきるしかないのだろう。

歯をくいしばる。先月抜いた親知らずの近辺が痛い気もするけど今はただ歯をくいしばる。

来るべき愛のために


最高の映画に人生を救われてから1週間経った。

劇場で映画を観て、もういちど劇場同じ映画を観て、週の前半はちゃんと学校に行った。久しぶりに授業をほとんどサボらず真面目に出席できた。週の後半はゼミをお休みして美術展に行ってから詩の集まりに参加して、パワフルな詩人の講演会に出て、また美術展に行った。


男が開けていった穴に芸術を流し込んで、急速に傷はふさがりつつある。それはすごく幸せなことで、わたしはいまかつてないほどパワフルだ。
男はわたしの好きな芸術や文化に興味のない忙しい男だったので、会うための時間やお金を捻出するためにわたしは映画館にも美術展にも行くことをやめていた。それはそれで良かったのだ、そういう時間もあって良かった。


けれど、自分で繋いでいたそういう鎖を断ち切ったとたんに溢れてきたのは精神を満たす幸せで、半年間の(おおむね)不幸な恋愛から得ていた楽しさや快楽よりずっと穏やかで信頼できる正の感情だった。


「恋愛は、しばらくいいかなって思う」と、とくべつなひとに話した時に「君にそう言わせてしまう男は悪い」と言われて、そうかな、と思った。若くてめちゃくちゃな恋愛は若いうちに経験しておくのが良い。その人はパーフェクトな純愛のただなかにいるので、伝わらないかもしれないけれど。わたしはかなりがたがたなので。


すこしおとなになって、大人の世界らしきものに手招きされつつあるいま気づいたことは、すべてをことばにしなくてもよいし、ことばはできるだけ適切なタイミングで出したほうが良いということ。

おとなになると、いいたいことがあってもいつかくる最適なその時まで心のうちにとどめておけるということ。


もうすこし待っていてほしい、来るべき愛のために。

かさぶた


深夜なのでひっそりこれの続きです。

彼女を退職しました - 平静とロマン

わざわざ「愛してるよ」と囁き直され、気を抜いたところで全力ブローをぶちかまされるという地獄みたいな"やり直し"をしてくださったので、異常者とスッキリ縁を切れてスッキリ!という気持ちはあるものの、かなり純度の高い悪意を近距離でぶっぱなされた傷はまあまあ深い。


半年間ずっと心配してくれていた友人たちにも「別れて良かった」「ちゃんと縁を切れてえらい」などと言われ、有識者にも「kapapamyが頭おかしいあいつらと関わっても闇堕ちしなくて安心した(ニュアンス)」と言われ、寂しさで魔が差してとんでもない地雷に手を出してしまったんだなあと戦場から抜け出してから改めて感じた。


困ったときに助けてくれる友人がいるのはほんとうにありがたくて、友人のことばにももちろん救われるし、めちゃくちゃに、かつわがままに生きているつもりでもきちんと複数の同性と親密な関係を築けている自分のある程度のまともさにも安心する。


踏み違えてドブに落ちたわたしの今後の生活を健やかに修正するためには必要な苦しさであったのだと思う。
実際、この歳で関わってはいけない人と本当に自分のことを大事にしてくれる人がなんとなくわかる気がするようになったのは大きい学びだろう。


ただ、苦しいものは苦しい。ひどい靴擦れを作っても次の日には靴を履かないと生活できないように、傷ついても起きている限りは精神を稼働させないといけない。


ちょうど先日、すこし小さい革のパンプスをおろしたら痛くて歩けなくなるくらい大きな水ぶくれを作ってしまって、初めてキズパワーパッドを使って感動していた。

こころにはキズパワーパッドなんて都合のいい文明はないのよね〜と嘆いていたら最高の映画(プロメアといいます)に救われて、こころのキズパワーパッドも存在した!と心から感謝した。



1週間でずいぶん元気になったのだけれど、それでも不意にかさぶたを擦って痛みを思い出す。

理性的に考えれば考えるほど幸せな交際ではなかったし、これほど人生にプラスな別れも存在するのねとびっくりするほど未来が明るくなったのだけど、傷が癒えるまでにはもうすこしかかる。

人の悪意はいつでもしんどい。
けれど、世界は思ったより優しくてきらめいているので、生きていける。


なんといったって世界の半分は優しいが住んでいますからね。


彼女を退職しました


こんばんは。この度彼女を退職いたしました。
失恋したので憧れの退職エントリを書きます。

お世話になった男性はたいへん人騒がせな方で、約半年の勤務の期間は大変濃密なものでした。素敵な思い出も苦しい思い出も増えた半年間でした。ありがとうございました。

在籍中にやっていたこと

お互いまあまあ多忙な学生でしたので、週1〜2回程度待ち合わせして夜飲みに行くことがほとんどでした。
ときどき甘いものを食べにいったり。映画と遠足はそれぞれ2回ほど。
わたしが映画、音楽、アニメ、美術が好きな文化系の極みみたいな人間であったのに対し彼は趣味への興味がほとんどなかったので映画以外の趣味に付き合ってもらったことはほとんどなかったです。

辞めるきっかけ

倫理観がヤバかった

倫理観がヤバかった

交際人数20人超え、二股三股上等というヤバ案件でした。いやある程度察しつつ付き合い始めたんですけどね。倫理観まともな男は成り行きで付き合ったりしない。

ちょっと掘ると恐ろしい話がまあ出るわ出るわ。二股バレて両彼女と三人で話し合いすることになったのにその直前にもう一人付き合い始めてたとか聞いてもう頭痛くなりました。
わたしと付き合ってる間は二股してないと得意げに言われましたが、普通はまず二股とかしないんだよなあ。


1月に元彼女(共通の知人)に"大好き"とLINEで言っていたのが判明し、その時点で別れようとしましたが土下座されて交際続行。

本人と周囲の反応が面白くてふざけていました、本当は好きじゃないですと言っていましたが、本当は元彼女のこと忘れられないんだろうなー、まあそういうこともあるよなー不憫なやつーと思っていました。

多少クズでも会ってる時は仲良いし、反省の色は見られるのでまあ手元に置いておいてもいいかなと付き合い続行(バカバカバカ)(わたしの倫理観もゴミ)


しかし、ツイッターで4月からネタのように
「(元彼女)愛してるよ」
というツイートを続け、わたしにリプライまでしてきたので怒りの辞職に至りました。
ウケが取れるからふざけてたとかよくわかんないですね。

勤務を通しての学び

ツイッターのプライベート用のアカウントの数が片手に収まらないやつはヤバイ

椎名林檎の思想が好きな男はヤバめ
音楽が好きで椎名林檎の音作りが好きな人はそんなにヤバくないと思っています。わたしもそうだし、ぜんぜんヤバくない友達も音楽は好きって言ってた。

地雷ぽいのを試しに踏んでみると本当に地雷なので痛い



追記 5/21
魔が差して話に行ったら「元カノを愛してると言ってたのはふざけてただけ」と誤魔化され謝られ諸々の条件を付加して交際が再開したかと見せかけ48時間以内に件の元カノとわたしの3人のトークルームが作成され、謎の「愛してるのは(元カノ)だけです」宣言が出されフラれ(?)ました。ひどい通り魔だな、なんだったんだ……

追々記 5/27
続きを書きました。1週間経ってちょっと元気になったよって報告です
かさぶた - 平静とロマン

夜ぞふけにける


ゴールデンウィークの最終日、予定をキャンセルして寝潰してnetflixを観て終了した。

いつもの土日が何セットも続いているような10連休だった。特別なイベントはほとんどなく、いつものように金銭とエンターテインメントの消費活動をしていた。


深夜2時過ぎに寝て朝8時半に一度起きてまた寝て正午くらいに起きて朝ごはんを食べて本を読んでまた寝て起きてそうめんを食べて本を読んで寝て起きて缶のお酒を飲んで映画を一本観て電話をちょっとしたら頭が痛くなったので薬を飲んでアニメをすこし観て入浴をして今に至る。

たぶん14時間くらい寝ているので当然ねむくない。
あしたというか夜が明けたら7時くらいに動きはじめたいのだけど。


思えば、中学1年生のときにはじめて徹夜をしてからずっと夜型だ。

一緒に住んでいる母方の家族はみんな早寝早起きの朝型で、夜は当然布団に入って眠るものだということを疑いもしない人々だったので、中学生の間は眠れないと誰にも言えず一人でそっとデスクの明かりをつけて本を読んだりラジオを聴いたり、窓から出て屋根に座ったりしていた。
自室の窓の隙間から道路の街灯が見えて、ときどき車が通るのを眺めているのも好きだった。


週に何度かはかならず眠れなくて深夜まで起きていたのに、中学高校は家からとても離れていて通学に1時間半くらいかかるので6時半前には電車に乗っていた。

通学の過程で2度乗り換えがあったのだが2本目と3本目の電車はだいたいうまく座れたので2本目の電車はほとんどいつも眠っていて、乗り換え駅で起きなくてはならず「どうしてこんなに歩かなくてはいけないのだろう…」と半分気絶しながら重い足を動かしていたのが忘れられない。


さいきん、ときどき読んでいるwebマガジンで朝型か夜型かは遺伝なのでどうしようもないという記事を見て、ついでにツイッターで朝型か夜型かを判定するテストが流行っていたので試してみたらあなたは超夜型ですと結果が出た。


血圧が低いので寝起きが悪くてすぐめまいを起こしたり吐き気でぐったりしてしまうので、身体が弱いね、とほうぼうで言われている。

長い休みがあると自然に寝る時間が深夜2時〜4時くらいになって、起きる時間も11時〜13時くらいになるので、家族には怠け者扱いされている。

世の中は朝型の人間に合わせていて、会社や学校は9時に始まるから、わたしも合わせないといけないのだけど、わたしの体は午前の終わりくらいに起動して昼過ぎから動きはじめるほうが圧倒的にパフォーマンスが良い。

午前中に起きようとすると、意識はあっても身体が重くてどうしても気分が悪くて動けないことが多いし、うまく起きられても電車に乗って目的地に向かううちに寝起きにやってこなかった吐き気やめまいが遅れてやってくることがほとんどだ。

朝が来るすこし前に眠りについて、朝の時間を眠りに費やす生活がきっとわたしにとってはいちばん自然なのだと思うけれど、そういう生活が許される大人はごく限られた職業に就いた人だけだ。


わたしが社会生活を拒んでいるのではなく、社会生活がわたしを拒んでいる。

社会に出るまでの残された時間は2年を切った。


このあいだに、遺伝子に逆らう術、もしくは朝起きなくてもいい大人になる術を見つけなくてはいけないらしい。

to be determined

選びつづける毎日を


はてなブログから、1年前の記事だよ!とメールが来た。


ことばを選びたい あなたに選ばれたい - 平静とロマン


去年のいまごろのわたし、苦しかったねえ、それでもその苦しさを良い文章(わたし比)に変換できているだけえらいし、それだけで苦しくて仕方がなかった1年間に意味はあったんじゃないか、と読み返してしみじみと思った。

詩を書きはじめて1年がたち、先日ちょうど詩人を囲んだ飲み会にも参加した。
去年のわたしからすると随分趣味のよく合うすてきな友人や大人に恵まれ、幸せに暮らしている。

おととし1年かけてボロボロにした身体はなかなか治らなくて、いまでも無理やり起きて動くとほぼ半日ゾンビのような状態になってしまうが理解のある環境でなんとか生き延びている。

穏やかに入眠できるようになって、線路を見ると怖くなることもなくなった。読みたいと思ったときに読みたい漫画や本を読んで、観たい映画やアニメを観られている。はじめて自分で舞台のチケットを取って観に行ったり、好きなバンドのライブを観にひとりで北海道に行ったりもした。幸せ、なのだとおもう。たぶん。


遠ざけてしまった大切なひとともきちんと話をすることができた。豊かな文化も取り戻した。なんとなくこう生きたいという理想の自分像も見えてきて、1年でずいぶん大人になったと自分でも感じる。

それでもなぜか満たされないのはきっと隣の芝生は青い的な余剰の欲なので、もっと手に入れたいのならあとは自分が努力をするほかない。


ことばは、いまでも選びたい。選び続けたいとおもっている。

詩を書きはじめて1年経った。書いて、ほかの人の作品を読んで、朔太郎賞や中也賞を取った詩人の方たちに作品を見ていただいて、感じたことはたくさんあった。基本的に自分の作品が大好きだし、書いた直後はだいたいいつも天才なんじゃないかとうっとりしているが、凡庸で稚拙な表現ばかりを連ねているようで自分と自分の作品に嫌気がさすこともある。
まだ2年目なので、作品の良し悪しとかはよくわからないし(とくに自分のは)、きっといろんなものを見て、読んで、書き続ける以外に上手くなる方法はない。


詩については1年やった程度ではよくわからない、わからないのだが、書き始めてすぐに感じた、具体的な描写では捉えきれない微妙な心の動きの輪郭をなぞって浮き上がらせる作業が“詩を書く”ということだという考えはいまでも同じだ。

なので、穏やかで幸せな生活のなかで心が強くなってしまったら、繊細な動きなどなくなってしまってわたしが書く詩に良さなんてなくなってしまうのではないかしら……と少々心配しつつ、それでもまあまあ幸せであることに感謝をしてできるだけたのしく生きていきたいと考えている。


あと、すこし先にすすめたいまのわたしから、去年のわたしにいいたいことがひとつあり。

あなたは、タイトルにするくらい、自分以外のだれかに選ばれたいと思っていたようだけれども、それってすごく苦しかったんじゃないだろうか。

選んでくれるだれかをなんとなく待ち続けて今日も来なかったって嘆くより、自分を自分で認めてあげるほうがずっとはやくて楽で安心だよ。

とつぜん手放される恐怖もないし、わたしはわたしから離れられないので自分が昨日より愛せる自分になれたら気づかざるをえなくて最高です。わたし史上最高なわたしに他人が気がつかないわけないのでもともとの目的も果たせて結果的にうさぎが二羽とれます。
昨日を超えていけー!

wallflower

 

愛されている実感が足りない。

 

友人たちや恋人、わたしを好ましく思ってくれている人たちの好意を認識はしていても、彼ら彼女らが愛しているわたしはいまここにいるわたしとは違う人のようで、わたし自身が愛されているという実感にどうしても繋がらない。

どうしてだろう。家庭環境が悪いわけではない気がしている。母はけんめいにわたしを育てたし、彼女に罵られた記憶はほとんどない。家族はいつでもわたしを褒めてくれていたように思うし、昔の恋人だってわたしのことをとても大切に、丁寧に扱ってくれていた。

それなのに、知らない人のパーティに紛れ込んで壁際にひとり立っているような心細さ、居心地の悪さにほとんど毎日苛まれている。

 

今日は昼過ぎまで眠っていて、きっと夜眠れないだろうからと長い散歩をしたのにけっきょく眠れなくて照明を暗くしたリビングでひとりアイスを食べている。