平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

ぼくらが旅に出る理由


小沢健二は歌の中で教えてくれなかったけど、わたしたちにはたしかに旅に出る理由がある。

二人がけのシートから見る景色は、七人がけに座ってみるよりずっとエモーショナルだといつも思う。なぜだろうか。


遠くに響く電車がレールの上を走る音を聞きながら、小刻みな振れを感じながら、窓の外に広がる景色を見て、わたしはいろんなことを考える。

(バックパックひとつ背負って一年間旅行に出るとしたら、お洋服はどうしたらいいんだろう。モードをまといながら旅をするバックパッカーはいないだろう。ということは、おしゃれをするには、空間の所有が必要条件ということ?)
とか。

(他人の人生の一瞬。通りすぎた家の二階に、お母さんと若い娘が二人たちつくしてるのを見て、電車の乗客に家の中の暮らしを見られても、乗客は家族の名前を知ることもないし、きっと出会うこともないから恥ずかしくなんてないんだろうな。でも、街中で視線を浴びることはおおむねの日本人にとって恥ずかしいことだろうし、恥は相手の反応をうけて初めて恥となりうるんだろう。)
とか。



人と話すとき・文章を書くときは、できるだけむずかしい言葉、相手にとって耳なじみがないだろうと考える表現は使わないようにしている。
人と違っている点は個性だけど、自分から見せびらかしていくのは、ただただ見苦しいものになるかもしれないし、周りのひとと同じようなふるまいをしていてもなおにじみ出てくる特異な魅力があるひとこそ、本物の個性を持つひとだと思うから。


だけど、考えごとをしているときは、むずかしい言葉も、自分が心地よいと思うかたくるしい表現も好きなだけ使える。

ほかのひとのあたまのなかが読める人はたぶんいないし、いたとしても、まあ人生で一人か二人遭遇するくらいだろうし、わたしのあたまのなかの考えごとはほぼ完全にわたしだけのものだ。


でも、ひとりで自分の世界に完全に浸って、つらつらととりとめもなく、好きなように考えごとができる機会って以外に少ない。

知らない場所にいるときの違和感や新鮮さは、逆説的に、自分の居場所と、その居場所が居場所たらしめる理由をあきらかにしてくれるものだと思う。

だから、つねに見慣れないものに刺激を受けつづける旅は、考えごとを始めるきっかけに事欠かないし、もやもやとまとまらない自分のあたまのなかを整理して答えを出すためのかっこうの機会だ。旅に出る理由、その一。



その二は、自分の地図が広がること。
あたりまえのことだけど、やっぱり写真や映像はその場所の空気や匂いを表現できないし、実際に行ってみるまではそこが実在することを実感できない。

地図は、広いほうがいいに決まっている。
いろんな場所に行って、いろんなことを知ると、自分の引き出しが増えるし、思考の選択肢もきっと増える。
増えた引き出しはいつも使えるものにはならないかもしれないけれど、ふとした拍子にものすごく役に立ったりするものだと思うのだ。



だから、手をふってしばしの別れを、そして祈りたい、旅にでる幸せを。