平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

そらのひかりは扉

ひとりで家の近くの映画館でレイトショーを観て(と言っても終演時間はそこまで遅くなかったけど)、帰りがけにコンビニに寄って頼まれた牛乳、飲みたかったメッツコーラ、おみやげの筒にはいったポテトチップスを買った。

昼間はずいぶん暑かったのに、夜は裏地をつけたスプリングコートを羽織ってもまだすこし寒いのね、なんて思いながら歩いて帰った。ずいぶん夜がふけている気がしたけれど、友達とお夕飯を食べてから帰るときと同じくらいの時間で、きっと部活をはじめたら練習終わりはもっと遅くなる。
いまなら、お酒を買えるかも。悪いわたしがささやいた。おりこうさんなわたしはコンビニにはもう寄ってしまったし、万が一ばれたらお店にずいぶんな迷惑がかかるのを知っているから、悪い誘いに立ち止まることなくすたすたと歩き続けた。

マンションのエンドランスを抜けて、部屋へ向かって外廊下を進む。
静かな廊下を歩きながら、ふっと外を眺めたら、おおきな3つの光が点滅しながらこちらの方角へ飛んでくるのが見えた。

UFO?
そんなわけないか。
わたしはいつだって珍しいものがすきで、怪奇現象を心のどこかで待ちわびている。だから、ちょっとふしぎなものに出会ったらすぐにいつかどこかで読んだような物語に変換しようとする。
けれど、SFはサイエンスフィクションの略称だってことも知っているし、フィクションは現実にはありえないことが書かれるからフィクションとして成立するということも知っている。もちろん、飛行機の光は思っているより明るく、大きく見えることもあるってことだって。世の中のほとんどは理屈で説明できることばかりだってことも、たぶん知っている。
21世紀は科学の時代で、こうしてとつぜん思い立って書いた文章をカジュアルに全世界に公開できるのも、たとえ1万キロ離れていたってコンマ数秒くらいのラグだけで好きなひとの声を聞けるのもそんな時代の科学の進歩のおかげだ。

でも、でも。
わたしは、数学がわからない。算数だってちょっと危ないし、化学や物理は極端なミクロの話もマクロの話も、聞いていたらだんだん怖くなって、じぶんの視界の枠がぐらつくような、重力がわたしを地面に引きつけてくれなくなってしまったような、ふわふわした気持ち悪さに包まれてしまう。

きれいなことばを並べるくらいしか、インクが染みついた紙の束に飛び込んでたぷたぷと泳ぐくらいしか能がないのなら、すこしくらい偉大な科学のことを忘れて、空を滑るおおきな光をUFOだと信じてもいいんじゃないかな。

わたしの世界は思ったよりずっと狭くて、ときどき息がつまりそうになってしまうから、真っ黒な空の白い光を見つめながら、だれも見たことのない、会ったことのないふしぎな人たちに思いをはせて、おおきく深呼吸をしてもいいんじゃないかな。

今夜もよく眠れますように。