平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

明け方から送信

こんにちは、おはようございます、こんばんは。ただいまの時刻は午前5時6分、明け方です。
試験勉強をしていて、ひと段落したので仮眠を取ろうとしたのですがカフェインの影響でどうにも眠れなくて、仕方なく買ったまま置いておいた坂元裕二さんの『初恋と不倫』という往復書簡形式の本を手に取ったらどうにもこうにもエモーショナルになってしまって、どうしようもなくなってしまったのでこうして文字を書いています。わたし、往復書簡に弱いんですよね。手紙と手紙、メールとメールの間に現実では何が起こっていたのかは行間からしか読み取れない、現実から一歩離れた虚構らしい感じが好きなんだと思います。

わたしのすごく嫌いなアニメがあるんですけど、キャラクターとか、演出とか、そういうのは大好きで、だからこそ納得のいかない話の進め方をして、ひどく理不尽な終わり方をしたのが許せなくて大嫌いなんですが、そのアニメにね、こういう口上があるんです。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。」
何者にもなれない、ってどういうことかよくわからないでしょう。でも、すごくわかるんです。わたしはずっとずっと自分の輪郭がわからないままぼんやり生きていて、きっとこのまま、「自分」を手に入れて、名前が残るような「あの人」になることがないまま、無名の誰かとしてぼんやり死んでしまうんだろうなって実感があって。
それが、「何者にもなれない」ってことなんだろうなって。

ああ、何を書きたいかよくわからなくなってきちゃいました。
けど、けど、わたしは何者にもなれないかもしれないけど、なら、無名の人のままでいいから、せめてわたしがいたんだって痕跡をどこかに残したいなって。100年たったらいま周りにいる人はみんな死んでるし、1000年たったら化石になっちゃうんですけど。それでもいいから、残せたらなって思う。

お芝居って見たことないんですけど、不思議と好きな作家はみんな演劇畑出身の人で。どうしてだろうって考えて、出た結論が、きっとわたしは「今」に必死でしがみついていて、飾り気のない、それでもうつくしい「今」が好きで好きでしょうがないんだろうなってことで。だから、たぶん生の人間が動いて話して生の人間に見せるお芝居の臨場感がわかっている人たちの書く生きていることのスピード感と鮮やかさが好きなんだろうなって。

だから、きっとそういうのがいいんだろうなって思います。とりあえず今はそんな感じで。脚本家になりたいとか、そういう宣言はしません。好きです、それだけ。