平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

Seize the day

 

高校2年生のときに書きはじめたブログで就職活動の進捗を報告できるようになってしまって、時の流れのようなものの存在を実感しはじめている。

なんといえば良いのだろうか、育った環境もあるのだが、高校生、つまり15歳から18歳くらいまではだいたいどこにいっても自分がいちばん若く、10年前なんて自我があるかもあやしい時期で実質10年前の世の中なんて自分のなかには存在していないも等しかった。

それが、20歳になってしまって振り返ると10年前の自分は明らかにそこに存在していた記憶があり、10年前の社会がどんなだったのか、何を見て何を感じていたのかもけっこう明らかに自分の中に残っている。高校に入学したのがもう5年前で、高校入学なんてけっこう最近のことのように感じていたので5年前というはんぶんくらい昔になっている時期の出来事であることに最初に気づいた時にはたいへんおどろいた。

 

「あたしなんてババアだから〜笑」と得意げに言う20代前半の女子が以前からほんとうに嫌いだった。自分より年を取っている人間が過半数なのに平気でそのひとたちを自動的にババア扱いしてしまう傲慢さと、その傲慢さの裏側に同時に存在する、年下の女の子と自分を年齢によって差別化して上位に立とうとする精神的幼さ、つまりことばの意味とは正反対の幼さが成立することに心底嫌悪感を覚えていた。

しかし、20歳に到達したいま、その女たちの気持ちはわからないでもない。酒やタバコを買う際の年齢確認ボタンにドキドキすることはなくなり、年金の請求書が届き、すぐそこにあった気がする過去もひと昔まえになりかけている。思春期より急速で劇的かもしれない変化を受け入れるためには「ババアなんだよね〜」というせりふのひとつやふたつ、可愛らしいものなのかもしれない、まあわたしは言わないのだが。

 

いくら高校入学が5年前になろうともわたしは高校生活で一度ドロップアウトしたので大学期間は人生の立て直しだと思っていたし、高校時代ときもちはほとんど変わらないまま延長戦のようなこころもちで大学生活を丸2年過ごした。

3年の夏になってなんとなく就活が始まった。ほんとうにみんな髪を黒く染めて、黒いスーツを着て、「バッグは自立する黒色のものじゃないとダメなのか」なんて話を大真面目にするのだ。

嘘だぁ。

 

と思ってやり過ごせればまあそれで良かったのだが、そうもいかない。

なんとなく就活を始めて、でもさして興味の湧かない合同説明会に行ったり適性試験の対策をまじめにやることもできず、インターンはだいたい落ちた(ほとんどはESの提出や適性試験の受験をしなかった)。

みんなと同じであることを顕著に求められ無個性な黒スーツを着て必死に自分を売り込んだ結果として、毎日朝起きて身支度をして満員の通勤電車に乗って……みたいな生活を強いられると思うと一切やる気がでなかった。

もともとルーティンワークを続けることがすごく苦手な性格で、柔軟な生活スタイルで臨機応変に新しいことをするほうが向いているという周りからの勧めもあったのでなんとなくスタートアップもいいかな〜と思い、wantedlyにサインアップしてスタートアップを2社ほど見学に行った。

 

社長やまあまあえらいひとに会社の話を聴きながら、自分の話(本を読んだり映画を観るのが好きで、いまは詩を書いたり自主制作の雑誌を作ったりしている)をした。だいたい2社とも反応は同じだった。

 

「うちは即戦力が欲しいから、きみみたいにスキルがない子は雇えないなあ……いまどきクリエイションは自分でも発信できる時代だからバズったりネットで影響力があればこっちからスカウトするし、デザインもプログラミングもできないんじゃね……」

 

じゃあどうして2社とも生産的なスキルや明確な実績がないことが事前に提出した書類でわかるわたしに会社まで足を運ばせたのだろうか……という気持ちには多少なったが、ハッとした点はあった。

 

大学時代って、実績やスキルを身につけなくてはいけないような時期だったのか……。

 

何事にもインプット→アウトプットの2段階があるとするなら学生時代はインプットに費やしていい時間だと思っていたので、大学3年の新卒採用の場で「スキルがないならお話になりません」と言われたのはかなりびっくりした。まあスタートアップは少数精鋭だからこそ小回りが利くという点から考えればなにも不思議ではないのだが、専門的にスキルを身につけていないふつうの私大文系でも入っていたイメージがあった。

 

世間的に加点対象になる程度には英語ができるので「スキルがない」と言われたのがショックでもあり、自分の需要のなさにやや落ち込んだ時間もあったが、即戦力のスタートアップ、育ててくれる大手というくくりも知っておおむね有意義な時間ではあった。

ほかの学びとしては、大学にろくに行かずにインターンに時間を捧げるような意識高い系は社会で即戦力になりえるスキルを身につけていて立派だったのだなあ(でもそれなら飾りでしかない大卒の称号を異様に評価しているいまの世の中はおかしいなあ)ということ、わたしはスキルはないとはいえまあまあ考えて大学時代を過ごしてきたので人柄や価値観評価の大手なら拾って育ててくれそうだなあということ、いまの時点である程度のインプットは重ねてきたので修士まで進学すればなにかしら実になる可能性があるなあということが挙げられる。

 

生きていくことはむずかしいが一方である程度の攻略手段は考えられ、それを試行錯誤する時間はまあまあ楽しいものである気がする。