平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

2月12日 疲れた日のこと

くたくたで帰ってきて、あーこれはダメだなもう寝ようってなった日に限ってお布団に入ったとたんに目が覚めてしまうのはなんなんだろう。

ぬくぬくのお布団はだいすきで、休日はおふとんの中で丸まって本を読んだりだらだらスマホを見るのが好きなのだけど、眠ることも起きることもすごく苦手。苦手すぎて病院に通っているくらい。

起き上がっていると雲みたいにもわーっとやってくる眠気は、横たわった途端に冷たくて凹凸のない、目を覚ます何かに変わってしまう。

マットレスとか敷布団を変えたら多少変わるのかしら。

2月11日 きらきらかわいいもののこと

ルミティアステッキという、お菓子売り場に売っているいわゆる食玩といわれるタイプのおもちゃを買った。

女の子の永遠の憧れであるキラキラと、ゆめかわいいを詰め込んだ「まほうのアイテム」ってコンセプトらしい。

セボンスターと比べるとけっこう高いけど、気になっていたから買ってみた。

わたしがひいたのは、ラメがまじったクリアイエローのボディにピンクの箔押しがほどこされた雪の結晶に紫の羽がついているヘッドがパステルイエローの軸についていて、軸の端にトランプのダイヤマークみたいなかたちのパステルブルーの飾りがついているもの。
サイズはこどもの手のひらにちょうど収まるくらいだろうか。

こどもってストラップとしてなにかにつける機会ってあんまりない気がするし、頭にボールチェーンを通すための丸い穴がついてたら興ざめだなあって思っていたのだけど、ちゃんとヘッドの裏にストラップホールがつくられているから、ストラップとして使えるようにしつつステッキとしてのデザイン性も損なわれていない。

しかも、ヘッドと軸は取り外しが可能で、同じシリーズを買えば自分だけのステッキが作れてしまうのだ。スタービーズという、ヘッドと軸につけられるカスタムパーツも存在する。

こんなの、ときめかざるを得ないでしょう。

手のひらにすっぽり納まるくらいの自分だけのステッキなんて、いつ敵が現れてもいいように普段は縮めている、魔法少女に変身するための「まほうのアイテム」じゃなかったらなんだというんだろう!

出てきた敵があまりにも強くて、窮地に立たされたそのときには味方の魔法少女のスタービーズを借りて、いっそう強い新たな技を生み出せる。魔力の元となるスタービーズを交換することは、魔法少女として大きな意味がある……なんて、なんて、大きくなったわたしでも考えてしまう。

といいつつ、わたしはピンクとかパステルカラーとか、いわゆるゆめかわいい系が似合うタイプじゃないし、手持ちのものはすっきりしたデザインが多いからストラップとしては使えないし、かといって部屋にきれいに飾れるほど丁寧な性格でもない。
だから、ひとつかふたつ持ってるだけでも持て余してしまう。基本こういうかわいいものとは親和性が低いのだ。ゆめをもらうにはひとつで十分。
だいじに引き出しにしまっておく。

2月10日 靴のこと

ユニクロでドクターマーチンのスムースレザーみたいなつるんとした触りごこちのサイドゴアのショートブーツが2000円で売っていて、試着したらぴったりだったから買ってしまった。

6cmくらいの細めのヒールだけど、プラットフォームが1cmくらいあって、横からのシルエットも綺麗で歩きやすそうな感じ。
ここ2年くらい太いヒールとポインテッドトウが流行っていたし、細いヒールとラウンドトウが好きなわたしは完全に取り残されていたから助かる。

地味な服を着ていても、ちゃんとした靴を合わせるだけでそれなりにおしゃれに見えると思っているから、ここ最近靴は2万前後のものしか買ってなかったし、靴だけはいいものだけを買おうと思っていたけど、ユニクロの靴はシルエットが綺麗で服を邪魔しないし、この値段でこのクオリティはアリだなって思ったからルール違反だけど今回は目を瞑ることにする。

ヒールで走りたいタイプの人間だから、そのうちマノロブラニクとかサンローランの高い靴を一足買いたいなあ。マノロブラニクは1日履いてても全然痛くならないって川上未映子さんも言ってたし。

2月9日 落として壊れたもののこと

塾の帰りにふらっと元バイト先のコンビニに寄って、なんとなく目に入ったストロベリーソースが別添えになっているマカロンラスクがおいしそうだから買って帰った。230円だった。

230円って雑貨屋さんとかカフェだとすごく安いと思うけど、コンビニで230円のお菓子を買うのは贅沢って感じがするから、ハーゲンダッツも滅多に買わない。

ストローをさして飲むタイプのプラカップの250mlくらいのコーヒーを買う人ってなんとなくブルジョアかお金遣いの荒い人ってイメージがあるのはなんでなんだろう。200円しないくらいなのに。
持ち運びが不便だし量も少なくて割高なのにあえてあの小さいカップのを選ぶあたりでなんとなくそんな気がするのかなあ。


家に帰ったらまだ母が帰ってきていなかったから、いぬとただいまの儀式をして、マカロンラスクを袋から出してキッチンに置いておこうとしたら、手から容器がつるっと滑って床に落ちた。その衝撃で蓋が開いて、無惨に欠けたマカロンラスクが床に散らばった。

拾いながら、ちょっと贅沢したつもりで楽しみにしてたのにこうやって床に散らばってるとなんかぜんぜん贅沢って感じしないしむしろ安っぽささえ感じるなあ、でも壊れやすくて取り扱いがやっかいだからマカロンは高級品なんだろうなあって考えていた。

壊れてしまったものは元にもどらないし、壊れたイメージも元にはもどることはほとんどない。

食後にマカロンラスクを食べてみたら、ソースは完全にホテルの朝食でよく出るちょっとかためのいちごジャムだったし、マカロンは重たくて、いつまでも口に残っている残念ななにかだった。

次に渋谷か新宿に行くときはサダハルアオキのマカロンラスク、買ってこよう。

ラジオのすゝめ

いつも聞いているラジオでメッセージが読まれて、バレンタインにおしゃれなチョコレートがもらえることになった。

ものごころついたころから敬虔なTOKYO FMリスナーで、J-WAVEのハマオカモトの深夜の番組と、オードリーと星野源オールナイトニッポンくらいしか他局に浮気したことがないわたしは、学校に通わなくなってからの1年半は毎日朝から夕方まで大半の時間はラジオを聞いている。


メッセージを送ると読まれるか気になってラジオの前に張り付いちゃうからふだんはめったに送らないけど、タイムリーで面白いメールが書けそうなときとか、どうしても欲しいプレゼントがあるときみたいなここぞというタイミングで送るメッセージはだいたい読まれるし、リスナープレゼントはけっこう当たる。


過去に当たったことがあるのは好きなバンドのトークとライブのイベント、番組のロゴ入り魔法瓶、番組オリジナルのトートバッグとか。
どれもここ3年くらいの話で、出したものはほとんど当たっているような。

雑誌の読者プレゼントも出せばときどき当たるけど、こちらはハガキである上に読んでいる雑誌(装苑)は月刊だからデコレーションとかメッセージに気合いを入れて毎月送る情熱はなく、出すこともすくないのであまり当たらない。

といいつつ、去年の11月頃に装苑の創刊80周年記念のトートバッグがどうしてもどうしても欲しくて、金色のキラキラペンとかレタリングを駆使して書いたハガキを送ったところ当選したから、気合いを入れて当たる可能性は高いのかもしれない。


こういうプレゼント企画って、なにかをタダでもらえるってことより断然、自分が選ばれたっていうよろこびが強くて応募しているのかもしれないってふと思った。

学校みたいな小さい規模でも1位になることって案外難しくて、ふつうの人は何回も、あるいはいろんなことで1位を取れるものじゃないし、プレゼント企画みたいな一回限定で明確に当たり外れがわかるものってなかなかない。

ラジオの場合は書いた文章の内容によって選ばれることも多いし、作戦とか工夫でなんとかなるものだから、手の届く特別な幸福って感じがする。

ラジオ業界は衰退していると聞くし、実際FMなんかは聴取率トップの番組でも1%未満みたいだけど、だれかの生きている気配がスピーカーを隔ててもなお強く感じられて、わたしは好きだ。

人恋しいひと、誰かに認めてもらいたいひとはラジオをきいて、メッセージを送りませんか。
けっこう簡単にすてきなものもらえたりしますよ。

2月6日 いぬのこと


金曜日からいぬが体調を崩していて、食べものを受けつけなくなっていました。

5歳の彼は生まれて3ヶ月でわたしの家に来てから、怪我も病気もしたことがなかったので本当にほんとうに心配で、おなかに軽く湿疹があったりぐったりしている様子をみてこのまま死んでしまったらどうしようってずっと泣きそうでした。

土日をはさんだところ、いつもみたいに元気にふるまう余裕が出てきたのでほっとしたものの、どうしてあんなに苦しそうにしていたのにすぐ病院に連れて行ってもらえなかったんだろうって不満は内緒です。

2月5日 香料のこと

今日は森鴎外舞姫を読んでいます。
ちょうどヴィルヘルム1世とビスマルクの時代が終わるころが舞台で、受験の世界史という観点から見ても面白い時期ですし、旧仮名かつ古文のために暗記していた単語が生きた文章として出てくるので勉強にもなります。


ところで、無果汁なのにレモンスカッシュ!とか、温州みかん味!と謳っている清涼飲料ってなんとなくディストピア感がありませんか。

メロンソーダは例外として、無果汁なのにフルーツ風味の飲み物って、飲むとたしかに言われたとおりのフルーツの味がするんですよね。
でも、実際には香料しか入っていない。
フルーツ抜きのフルーツ飲料に違和感を持たないわたしたちは、そのうち肉や魚が人工のものに変わっても気がつかなくなるんじゃ……みたいなことをかんがえていました。

西暦2×××年、世界の人口の増加に食物の供給が追いつかない一方で先進国の豊かな人々は新鮮な肉を求め続けた。増え続ける需要に応えることができなくなった社会は密かに本物の肉と区別のつかない人工肉を開発し、世間の目と舌を誤魔化し続けている。しかし、鋭い味覚を持つ一部の上流階級は人工肉の繊維の"プチプチ感"が天然肉と違うことを見抜いた。
彼らはほんのわずかしか出回らなくなってしまった天然肉を秘密裏に入手し、最高の天然肉を食べるために夜な夜な集まる。しかし、高度に管理された社会でその秘密を知り晩餐への参加が許されるのは厳しい選考会を勝ち抜いた一握りの人間のみ。
天然肉を口にするためだけに命を賭けた"格付け"がはじまる……。

今日はこれが書きたかっただけです。

実際、本物の肉と区別のつかない人工肉の開発が進んでいるそうですが(WIREDで読んだだけ)、一度食べてみたいですね。