平静とロマン

平成生まれの大正浪漫

なんにもないけど

 

私信をさも日記のように綴ること、胸が夢でいっぱいだったころはいっしょうけんめいやっていたけれどもう胸には現実しかないので今はそういうのできなくなりました。現実は無数の具体の集合体で、あしたの献立とか、来月の収支の調整とか、洗濯機をいつ回してどこのタオルを交換するのか、そういうことでできています。

文末・文章のまとまりごとに改行していたら「メールで改行、しないんだね。相手がスマホで読むこともあるから今はあんまり意味ないけど30字くらいで改行したらいいよ」と言われてそんなの嘘だよ読点で改行するなんて10年前の携帯小説みたいなことしないでほしいのだってマルケスは何ページも一文で繋いでそれを誇っていたでしょ、と心の中で思ったけど「改行っていります?」と冷たい顔でいい放てる強さも愛らしさも持ち合わせていなかったので今はすなおに30字を目安に区切ってメールを書いています。

日々はなんにもないことの繰り返しです。それでも周囲の人からすればずいぶんエキサイティングなことをしているのでしょうが、昼間の蛍光灯にうんざりしたら外に出て10分くらい歩いてフランス人のパティシエが作っているらしいちょっと高くておいしいパンを買って歩きながら食べるのがいまのわたしの精いっぱいのしあわせです。

 

なんだろうな、わたしはわたしがどんどん褪せていっている気がしています。

昔のくるしかったときよりずっとうまくいっていて、圧倒的にいまがハッピーなはずなのに、わたしはどんどんわたしに興味を持てなくなっていっています。

あんなにコンプレックスだったはずの見た目も、ここ1,2年でほんとうに褒められることが増えました。初対面か初対面に近い顔のいい女たち(複数形なのが大事なの)に「顔かわいいよね」と言われるようになって、それはわたしの顔の素材がいいというよりこれまで息もたえだえに、祈るように積みかさねてきた信念がようやく見た目ににじみ出るようになった結果なのだと思っています。そういう意味ではわたしは明らかに右肩上がりできれいになっていくタイプの人間です。すてきだよね。でもいまも今後もある程度すてきなことが見えてしまったからこそ、その満足は無関心につながっていく。

 

わたしは口を開けばわたしのことばっかりですね。

だってこれまでそれだけ悪目立ちしてきたんですよ、視線をじぶんに向けざるを得なかった。

 

ひるがえそう。今週は、これまでいっしょにいた男のひとたちのことをけっこう考えていました。

いまの現実のなかに彼らはいないから(それは君も含めてなのですが)、水槽の底で動かないお魚を見ているようでした。

痛みも悲しみもなくて、ただ確かに世の中にある/あった、動かない事象です。

「残らない別れなんてないよ」と言ったのは2話か3話くらいの大豆田とわ子で、それはほんとうに真実だと思う。

「ひねくれてひねくれた結果まるく見える人には独特の色気があると思うよ」ときみが言ったことは、今後もわたしの人生の支えになると思う。

わたしはつまんねえ昔の映画の、たった数秒のカットにときめくために今後もひとりで小さくて椅子の硬い映画館に座ると思う。

 

でもなんだろうねえ、わたしは夢を現実に持ちこんで、それまで持ち合わせていた熱情を失ってしまったのでもうおしまいなのかもしれないです。

あー、「まだ何も作ってないのに何がわかるの」という上司の顔がいまこの瞬間にも浮かびます。彼はとても優秀でちょっと冷たいけどその裏には優しさと気遣いがあっていわゆるツンデレ系…うわわたしがこんな使い古されたことばを並べるのはきもちわるい…なので尊敬していますがすごく苦手です。

 

言語化がじょうずになればなるほど、抽象は解体され具体へと落としこまれるようになっていきます。

こうして大きなものを持てなくなったひとはからだもなまえも小さくなって、「過不足なくいいんだけど光るものは、ない、よねえ」のひとになっていきます。

夢はね、解体すると現実的な目標になっていくよ。目標は達成すべきもので心ときめくものではないです。

熱情を持てなくて、持たせてあげられなくてごめん。

恋は遠い日の花火になりつつあるよ、もう何回も言われてるけど今後「本物の恋愛をしたことがないんだよ、ほんとうに好きなひとに出会えたらそんなこと思わなくなるよ」とかいう大して交際してもないのに相手を勝手に「ほんとうに好きなひと」だと思いこんでる蛙(かわず)ちゃんたちに会ったら井戸ごと埋めてころす。

 

わたしはきみのこと最低でセンスがないやつだ、どうにでもなってしまえと思ってるけど、同時に話したいことももうすごく溜まっています。

ずっと楽しみにしてたダニエル・シュミットのヘカテはぜんぜん面白くなくて寝たけど、エリック・ロメールのモード家の夜はすごくよかったよ。

初めて観た翔んだカップル相米慎二のこと、大好きになった。

坂元さんの本を読み返したら好きな映画で挙げられてるのが相米、増村、ロメールトリュフォーカウリスマキだったよ。

仕事場の本棚の写真を見たらいっしょに買った上間陽子さんの裸足で逃げるが2冊並んでいたし、森達也の死刑も高野秀行も石井好太さんもあった。

これは嬉しい既知だったけど、情報収集したくて久しぶりにCINRAを覗いたらぜんぶぜんぶわたしの知ってる、親しみのある固有名詞で気持ち悪くなっちゃった。

だれかに話したらきっと「へえ、よくわかんないけどすごいんだね」って返してくれるけど、おなじ文脈で興奮したりゲロ吐きそうになってくれる人は思いつかないのでさびしいです。200人見てるはずのTwitterで呟いてもだれもいいねって言ってくれない、これが21世紀の孤独だよ。

でも最低でセンスがないやつだ、どうにでもなってしまえ、ついでにマリメッコのトート返せよ、と思ってるのはほんとうなのでそこらへんは間違えないでね、こっちにもいちおうプライドってものはあるのでね。

 

以上、自席の引き出しのなかに成城石井で買った高い生姜飴を常備しつつ、大粒で果実感が強めで箱じゃなくて袋に入ってる高いほうのアポロを週3ペースで食べてるタイプのやな女でした。いつか高いほうのアポロ持って来なね、ばいばい。