平静とロマン

平成生まれの大正浪漫21歳

殻にこもる週の記録

 

 

ずっと自宅にいて誰とも顔を合わせないので、圧倒的に刺激が足りていない。

いつだったか忘れたが、夜中にうんざりしてベランダで日記を書いた。

 

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5月10日 日曜日

ゆるやかにカーブを描く川に沿って整備された道を歩いていた途中だったので、前に進むにしろ踵を返すにしろ自分の足を動かすほかなかったが、自分自身の力を使わなければどこへも行けないという事実に全身の力が抜けてしまいそうだった。

なにもない道を歩き続けることに、わたしは心底飽きてしまった。

 

ときどき、自分をどう扱えばいいのか自分でもわからなくなってしまうことがある。始末にこまるわたしは前触れもなくわたしを襲って、そのたびにだれかに迷惑をかける。
結局元来た道を素直に戻ることにして、その足でふと思いついて茶葉を買いに行った。

思いつきで出かけることにさえ背徳を感じる世の中に、わたしは適応しつつある。

 


5月11日 月曜日
朝はやく起きて軽い運動をしてから朝食にチーズケーキを食べた。

それから洗濯機を回し、洗い上がった部屋着やシーツを干すために窓を開けて外に出ると、物憂さのすこしもない陽射しにあたった。近くに咲くツツジだろうか、甘い花の香りがすぐそこまで漂ってきて、晴れやかな季節が肌で感じられた。玄関の扉を開けなくとも季節を知ることはできる。

 

完璧な晴天、完璧なステイホーム。

すこやかに家を保つこと。気に入った家具に身を委ねて好みの香りで胸を満たし、一人でもにこやかに過ごすこと。

これまでの日々でもっとも凪いだ生活だ。欠くことのない穏やかさは徐々にわたしを丸めていく。このまま滑らかになってしまえばわたしはどこにも留まれなくなる気がしている。

おにぎりのようにごろごろごろごろ転がっていく人になりはてる微かな不穏を感じる。

 

 

5月12日 火曜日
目覚まし時計が鳴っているはずなのに気がつかずに寝続けることが3, 4日に1度あるのだが、今日はその日だった。 

午前10時前に布団を出てゆるゆると身体を起動し、午前中に来ると聞いていた荷物を待っていたらあっという間に昼過ぎになっていた。

 

家でさほどかわり映えのしない自分を眺め続けることに飽きたので、ウィッグをかぶって全く違う髪色と髪型になって遊んでみたところほとんど別人のようになってしまって自分でも驚いた。
大学に入りたてのころを除いてほとんどずっと地毛もしくは地毛とほとんど区別のつかないような暗い茶髪で過ごしてきたが、似合わないと思っていた明るい髪色が実は黒髪よりずっと似合っていた。

「手入れが大変だから」「維持費がかかりすぎるから」となにかと言い訳をしつづけて髪を明るくしなかったことをすこしだけ後悔した。

 


5月13日 水曜日

朝起きてすぐオンラインで人と話して、昼寝してオンラインで人と話したらもう夕方になっていた。

2度目のオンラインでの会話は芥川の晩年の傑作と名高い短篇を題材にしていたので珍しくじっくりと芥川を読んだ。

目の前に広がっていたであろう情景を切り取ってコラージュのようにひたすら並べる様子はすこしわたしが目指している詩の姿に似ていると思っていたが、「この作品は精神病患者の思考のモデルケースとして医学部の授業で取り上げられることもある」と言われて思わず苦笑いしてしまった。

精神科医の詩論や吉増剛造さんの話を聞いてどうやら優れた詩とは異常と正常のあわいを切り取るものであるようだという認識はうっすらしていたものの、自分の目指す視座が社会にとって適切でなかろうものであると実感したのはこれが初めてだったので、わたしはもっと覚悟をすべきだ。

 

 

5月14日 木曜日

目にかかるほど伸びた前髪が鬱陶しくなり、自分で切ることにした。
もう何年も髪を任せている美容師はずいぶんと慎重で、思い切って眉上あたりまで短くしてほしいと頼んでもなんとなくいつもより短いくらいで完成させる。

切っている最中にもちろん長さの確認は都度取られており、鏡で見ていると彼が作る前髪の塩梅がちょうど良い気がするので「そのくらいで大丈夫です」と言ってしまうのだけど、毎度なんとなく丸めこまれたような気がしながらきれいに仕上がった髪の、ベルガモットのシャンプーの香りを嗅いで店を後にしている。
彼に仕立ててもらった比率はそのままに長さだけを短くするために、髪を下ろした様子を写真におさめそれを見本に先の尖った小さな鋏でごく少量の毛束を切る作業を繰り返した。

できあがりは想定よりずっとまともで、明日からもカメラに映れると安堵した。

 

 

5月15日 金曜日

すこしずつ生活の風向きが変わってきた。

 

ずっと、社会から切り離されている気がしていたけれど、家にいるままで社会とつながるすべを理解しつつある。

 

湯船に浸かりながら、はたしてわたしは社会人になれるのだろうかと考え込んでしまった。

社会人というのは社会の運営に多少なりとも貢献しているひとで、それは納税や勤労といった法で定められた義務を果たすことでもあるけれど、もっと本質的にはいまの社会に納得してその維持に努めるひとだと、いまのわたしは考えている。

就職活動はシステムに組み込まれるための儀式だ。

わたしはこの国のいまの社会が納得できないし恨みさえしていて、就職活動には最後まで馴染めなかった。社会を支えるひとは必要だが、歯車が静かに回るばかりでは静かに錆びていくばかりだとも思う。枠に組み込まれなかったひとができることもあるのではないだろうか。

 

5月16日 土曜日

朝8時前に起きて昼寝もせず活動していたはずなのに何をしていたかすこしも覚えていない。おそらく勉強をしていたらほとんど1日が終わっていたのだろう。

活動時間が長かった日は、目を覚ました直後の自分と眠りにつく前の自分が本当に同一の人物であるのか不安に思うことがある。

特に大きな変化もないはずであるのに、どこかで連続性がふつりと途切れている。その切れ目がどこにあるのか確かめようと記憶を辿ると、細かい時系列が特定できない時間のトンネルに行きあたり、それより前に遡ると途端に遠い日のわたしになってしまう。

そのくせ夜明けに見た悪夢はひどく鮮明に覚えていて、跳ね起きたときの心臓の強い鼓動と息苦しさはいまもまだ身体のすぐそばに潜んでいる気さえする。

朝はやく起きて日付が変わるころには眠るようになっても、わたしはやはりどうしようもなく夜の生き物だ。

 

 

 

雨が降っている日はずっと眠い。

不規則な生活を何年もしていたので24時か25時に寝て9時に起きる練習を薬の力を借りながらしているが、25時に寝て11時に起きて12時から16時まで場所を変えてまた寝るといったような、起きている時間のほうが短い日ができてしまう。

 

思えばここ何年も、生きることから逃げるために睡眠を取っている気がする。

起きている時間は一人称の「わたし」から離れられないし、自分が生きていることに向き合わなくてはいけないから、眠っている。

いま向き合わなくてはいけないことはいろいろあって、それは自分の将来設計だったり、身体の健康だったり、心の不安定さだったりする。

いずれにしてもいますぐ答えが出るものではないので、考えながらときどき行動して、あとはその時が来るのを待つしかない。

 

好きな人が今日から社会人になったのだけど、いまはわたしから連絡を取らないようにしているので、どうしているかな、と考えている。

同時に、わたしは来年のいまごろどうしているのだろうか、頭の隅に不安がよぎる。

来年の心配をする前に、来月どうしているのかすらわからない。3月31日付で自分が受験生の頃からお世話になっていた塾を辞めたのに、4月1日からメインのバイト先として働くはずだった施設は今も休館で、シフトが決まる前に休館が決まったので5月のお給料は出ない。

 

いまわたしができることは、なにもせずに家にいる期間を無駄にしないようにたくさん本を読んでたくさん勉強して、たくさん文章を書くことしかない。

家にいる間モニターを眺めていることが多くて目が痛くなるので、ずっと欲しかったけれど高いかなと思っていたPC用の眼鏡を思いきって買った。

目が痛くなるから長い間PCは見られない、という言いわけはもう使えないので、あとは努力をするしかない。

雲の上に

 

昨日、一時的にスマートフォンのデータが吹き飛んだ。

うすうす予感はしていたためある程度の対策をしていたこともあるが、ほとんど失ったものがないことに驚いてしまった。「インターネットになりたい」「肉体を捨てたい」とつねづね言っているが、わたし個人のインターネットへの外在化は想定よりずっと進んでいて、馴染みの街にいたはずなのに知らない土地に来てしまったような心細さを唐突に覚えた。

 

きっかけは2年ほど使っていた端末の不調だった。破損したファイルなどのゴミになったデータが容量を圧迫していて必要なアプリが取り除かれてしまうようになったのでクリーンアップのためにPCにバックアップを取って必要なデータのみ復元をするはずだったのだが、作成したばかりの端末のバックアップが“端末の容量不足”で流し込めないと言われた。

しかたがないので、メッセージアプリなどのバックアップを個別に行いつつ、初期化を行った。

容量の圧迫によってアプリが削除された影響で9月以降の写真はふだん使っているバックアップサービスに接続できなくなっていたので、元どおりになると思っていても、初期化を選択するときはすこしためらった。

 

端末を空にし、再度復元を試みる。

復元の時間を計算中……

 

復元の時間を計算中……

 

復元の時間を計算中……

 

ここからなかなか進まない。

 

ようやく復元が始まったのだが、残り時間1分……という表示から、3分、45分、57分、1時間、とどんどん表示される所要時間が延びていく。

2時間、3時間、6時間、8時間。

 

これはおかしいぞ、と思った。

進捗を表す緑色のバーはいっこうに面積が増えず、残りの所要時間の数字だけが増していく。

 

「読み書き中にエラーが起こりました」

「不明なエラーです」

 

3度ほど繰り返したところで、今度は音楽データ以外ほとんどなにも入っていないはずのPCのストレージがいっぱいになったと通知が来た。

内訳を見てもPCのストレージを占めてしまうような大きなデータはどこにも見つからず、パニックになる。

ディスクのクリーンアップを行っても、よくわからないコードを青黒い画面に打ちこんでディスクチェックを指示しても、開放されない。

期限切れのウイルスソフトの更新の催促と、復元を必死に試みるiTunesの活動でメモリの貧相なわたしの安物PCは動きを止める。

 

終わった……。

 

バックアップの取り始めからこの時点ですでに3時間ほど経っており、まもなく日付が変わろうとしていた。

翌日も午前中から予定が入っていたため、わたしはここであきらめた。

 

あたらしい端末として新規設定を始める。

近くに置いてあったiPadが、なにもかも忘れたわたしのiPhoneに初歩的なあれこれを教えこんだ。

Wi-Fiやパスコードの設定がスキップされ、日本語かな入力、イギリス英語、簡体字アルファベット入力、繁体字手書き入力、という面倒な組み合わせのキーボードの設定もそのまま再現された。

メッセージアプリのアカウントもそのまま。各SNSのアカウントに特に変更はない。予定をすべて入力し、家族や恋人と共有しているカレンダーもクラウド管理なのでなにも変わらない。お気に入りのカフェやレストランのリストも、いま抱えているタスクの進捗も、いままで書いた詩も、よんだ本の記録も、音楽のライブラリも、アプリを入れていつも使っているアドレスを入力すれば、ほとんどがそのまま見られた。

 

失われたのは、9月中旬以降の写真でSNSにアップしていないものと、歩数記録と、専用アプリでローカル保存していた靴のメンテナンスやサプリの服用など細かなライフログだけだ。

 

作品も、考えていた痕跡も、いままで出したレポートや発表に使ったレジュメや講義のメモすらも、そのまま残っていた。

 

わたしがオフラインで所有しているものは、数百冊の小説・漫画と、服と、自分の肉体だけだ。

わたしが生きている痕跡はすでにほとんどがインターネットの上に積み上げられていて、それはわたしが死んでもきっと整理されることなくそのままオンラインに残り続ける。誰にでも見られるようにしてあるこのブログやTwitterInstagramはそのまま残って、目にした人はきっとそれを書いた人がすでにこの世にいないことを知るするすべを持たない。

 

わたしがオフラインのみでしていることは、友人や恋人、家族との他愛もない話、生命維持活動、アロマテラピー、紅茶とパフェを楽しむこと、移動、くらいだ。

 

わたしのほとんどは、すでにインターネットにあることに、気がついてしまった。

インターネットデトックスなどできるわけがないのだ。現にこうして日記を書いていて、友達との会話やお出かけもインターネットを介さずには成立しない。

 

壁紙や細々したアプリの設定をするのが面倒で、PCと格闘のすえ最終的には元データを復旧させたが、戻ってきたと安堵したものは”ここ最近の思い出“だった。

 

存在の消滅は、インターネットによってより緩やかになっていく気がする。

誰かにわたしの考えたこと、わたしの生み出したものを覚えていてもらうために、わたしはこれからも筆をとる。青い光を放つ画面に向かって、小さなキーボードを叩き続ける。

 

 

12月のゆきどけ

 

4年前のちょうど今頃、わたしは高校を退学した。

そのすこし前に9ヶ月の留学から帰ってきたのだが、もともと居心地の悪かった教室にわたしの居場所はどこにもなかった。

毎度毎度さんざん揉める修学旅行の班決めを我々留学組が帰ってくる直前に済ませて、わたし一人をどの班に入れるかを決めるためにホームルームが開かれた。親友のいた班はグループ内の数が合わず誰かが泣く泣く諦めた班で、誰にも受け入れてもらえず、クラスの全員がわたしを押し付けあった。ようやく班が決まって下校の時間になると、クラス委員がわたしを受け入れた班に謝りに行くのが見えた。わたしはこの場の全員に嫌われている、それでも、大学に行くため、今後の将来のため、学校には行かなくてはいけない。そう思っていて準備をして定刻に靴を履いても、足がすくんで家から出られなくなるまでそう時間はかからなかった。

 

学校にはなんとか行きたくて、電車で1時間半かかる学校まで働いている母に車で送ってもらって保健室に行った。

「お母さんに送ってきてもらったの?働いてるんでしょう、かわいそうに」

「高校は単位制だから保健室に来てもなんの意味もないよ」

「高校を退学して海外の大学に進学したい?海外は入学資格が厳しいから入れるところなんてどこにもないよ」

担任の言葉が、必死で“あるべき場所”に戻ろうとしていたわたしの心をやすやすと打ち砕いた。

 

2ヶ月ほど学校に籍を置きながら欠席を続けたわたしに12月の半ばに電話をかけてきた担任は淡々と告げた。

「化学の出席日数が足りなくなったので進級はできません」

 

2015年、12月の26日だった気がする、校長、学年主任、担任らと応接室で面談をした。

事務的な話をいくつかしてから、校長がさわやかに告げた。

「それでは、〇〇さんの門出を祝して。寂しくなったら、いつでも学校にきてくださいね。今後の活躍を祈っています」

 

それまで冷静に話を続けていた母の声が湿り気を帯びた。あなたたちのせいで、娘は学校を辞めたくなんてなかった、クラスだって変えてもらえなかった、あなたたちのせいで、あなたたちのせいで。

言葉にできなくなった母を引き継いで、それまで黙っていたわたしは大きな声で話をした。

 

その時は興奮していたし、なんと言ったかはもう覚えていない。けれど、交換留学で学校の代表として外国に行ったわたしがスムーズに復帰できるようサポートする義務が学校側にもあったはずであるのに中学時代にわたしに嫌がらせをしていたグループが中心格になっているクラスに敢えて編入させたこと(中高一貫なので当然先生や周りの誰もが知っていた)、担任がわざわざわたしに追い討ちをかけにきたこと、そうして追い詰められて辞めていくわたしにやすやすと綺麗事を言い放つあなたたちの学校をもはや母校とは呼びたくないこと、わたしが将来活躍しても、あなたたちに感謝することは決してないこと、だいたいそのようなことを言ったと思う。

 

顔色を変えて平謝りに転じた校長、最初から最後まで申し訳なさそうにしていた学年主任に対し、担任は「わたしはそんなこと言っていない」と自らの発言を否定することに徹した。

靴箱まで走って追いかけてきて、「わたしはあなたのことを心配していたし、あなたを傷つけるような発言はしていない、だから握手をして」と握手を求め、わたしが手を握るまでその場を離れようとしなかった彼女。あれほど気持ちの悪い掌の感触を、いまだにわたしは知らない。

教師陣に啖呵を切ったわたしを誇りに思う、と伝える母と一緒に景色だけは美しい学園を後にした。

美しく豊かな図書館を利用する権利がなくなってしまったことだけが悲しかった。きっと二度と来ることはない、そう思っていた。

 

4年経って、先日、学校を訪れた。同窓生のための開放日に、恋人を伴って。

おそらく改修工事があったのだろう、すこしだけ綺麗になった最寄駅に降り立って、懐かしい道を歩いた。すぐ近くの建物の2階に入っていたおしゃれなカフェはなくなっていて、ガラス張りの綺麗な店構えなのに中に入ると奥の引き戸があいて置物のようなおばあちゃんが出てきてこちらを無言で見続ける居心地の悪い文房具屋さんはまだ残っていた。

門から顔を知っているが名前を覚えていない女の先生が出てくるのが見えた、すこし緊張して顔を背けようとしたが、笑顔で会釈をしてくださった。恋人の顔をすこし見て、それからわたしの顔を見て、共犯者のように笑ったような気がした。

 

門をくぐって、よく知っている小道を通り抜け、よく知っている古い建物にたどり着く。

ずいぶん古い建物だね、建てられたのは1930年代かな。一目でほとんど正確に建物の年齢を言い当てる彼に驚きながら、すこしも変わらない美しさに心が波立った。

静かな渡り廊下を抜けて天井の高い、はなやかな装飾の施された礼拝堂に入る。

十字架にかけられた2000年前の人が怖くて仕方がなくて、毎日入るのがいやで苦しくなっていた礼拝堂。祭壇に飾られたポインセチアには12月の柔らかな陽射しが高い窓から降り注ぎ、周囲の空気が黄金の光を帯びていた。

祭壇から何十メートルも離れた扉を通ったとたんに匂う百合の香りが当時は心底嫌いだったが、その匂いを感じられないことに残念さを覚え、同時にそういう自分に驚いた。

 

大きな声で聖歌を歌って、聖書を読み、祈りを捧げて、1時間ほどでその場を後にした。

授業のない休日だったから、図書館は閉まっていた。

女子中学生の歩幅の2.5倍くらいの妙な奥行きで段差の低い石の階段を降りながら、恋人と話しているとあたたかな流れが胸の中を満たすのを感じた。卒業生ではないから卒業アルバムも手元にないし、同窓会からの案内が来ることも当然ないのだが、そこはホームとしてわたしをあたたかく迎え入れた。

去り際の醜い記憶ばかりが残っていて、にがにがしい気持ちを持ち続けていたが、順当に卒業したほかの女の子たちからみればただただあたたかく美しい場所なのだと知った。

 

なんだ、行ってみれば、大したことなかったじゃん。

忘れたつもりでも、数年間心の中に残りつづけていた濁った塊が、何かに押し流されていくのを感じた。

 

大人になるって、こういうことだ。

彼の冷たい手に指を絡めて、小綺麗になった駅までの短い道を歩いて帰った。

 

 

ドアをノックするのは誰だ?


近ごろ、睡眠時間がひどく短い。

気がついたころには睡眠が下手で、眠れないのに一度眠りはじめると起きられないので専門の病院に通院していたほどだったが、最近はなぜか深夜1時から3時くらいにすんなりと眠り、朝5時から7時くらいのあいだに自然に目が覚める。
動けなくなるほどのめまいや吐き気もない。


昨日は強いお酒を楽しそうに飲む友人たちに囲まれつられて強いお酒をいろいろ飲んで終電で帰宅したのに、5時半になぜか目が覚めた。

つい先日まで終電帰りなんてした日には翌日の午前中は寝潰して、むくんだ顔を大きな眼鏡で覆い隠して出かけていたのに。


最近、毎日きちんとスキンケアをして化粧をしている。
(さまざまな意味で)気にかけていた何人かの男への興味も急速に失せた。
散らかっていた部屋がモデルルームのように綺麗になった。

「どれだけ変わろうとしてもあなたは変われないよ」と、今後の人生で二度と会わないであろう人間(たち)を呪っていたわたしが、自分自身でも驚くほど変わっていっていることを感じる。


肉体の細胞は日々入れ替わり、90日ほどで総とっかえされていると、わたしは信じていなかった。
たとえ細胞の交換が行われていようとも肉体には呼吸の跡が残り、ひとの生きざまはたしかにからだに刻まれて決して消えることはないのだと思っていた。


案外、そうでもないのかもしれない。

いや、消えることはなくても、褪せていくことはあるのだろう、そういう気持ちかもしれない、良い意味でも悪い意味でも。



時刻は7時半になろうとしている。アルコールが抜けて、快適な朝に迎えられる準備が整いつつある。


昨年わたしが履修していた授業を春学期だけ取っていた人と、一昨年取っていた人となぜかこの夏仲良くなった。

春学期だけ取っていた人と一昨年取っていた人はたまたま同じマンションの同じ階の1部屋隔てたところに住んでいて、彼らの最寄駅はわたしの住んでいるところから電車で20分もかからないので、ふらっと飲みに行って家に上がってわたしの終電の時間まで音楽や詩などの話をする。


昨日は彼らの家の近くにあるあやしげなエスニックバーにごはんを食べに行ったら目つきの鋭い猫がいて、自家製のチャイのお酒を飲みながらよくわからないエスニック料理を3人でつついた。猫はなんとなくエジプトから来たような風貌をしていた。

東郷青児の話をしながらお酒のグラスを開け、フィルムカメラヤフオクで競り落としたらメニューにセージ茶があることに気がついたので、セージ茶と、ついでにギムネマ茶という謎のお茶を頼んだ。

ターコイズ色の湯呑みが3つととちいさな黒い鉄の急須が2つやってきて、3人で大盛りのグリーンカレーを食べながら飲んだ。

「3人で詩の交換日記をしようよ」と誰からともなく言い出して、わたしたち3人の名前はギムネマ・セージになった。東郷青児の話をちょうどしていて、セージ茶のセージも人らしい名前だね、と話していたから。


あたらしい名前、あたらしい生息時間、あたらしいわたし。
真新しさに囲まれているいまがすごく楽しくて、どうかこのままずっと続けばいいのにと祈ってしまう。
自己研鑽と祈りを欠かさない季節にしたいと、強く願う。

恋愛がわからない ver.2.0

 

映画「愛がなんだ」の東大でのトークセッションつき上映会に参加してきた。

原作者の角田光代さんと監督の今泉力哉さんに東大助教授の熊谷先生を交えた鼎談で、非常に興味深いイベントだった。

4月の公開当初は件のゴミのような元彼といちばんズブズブで修羅場のなかでもがいていた時期で、「いま観に行ったら死ぬやつ」とアラートが自分のなかで鳴り響いていたので観に行けなかった。別れてからある程度の時間が経ち、元彼がおもしろ恋愛体験談としての意味くらいしかなくなったこの時期にちょうどイベントが開催されることを知ったので速攻応募し、当選のメールが届いてガッツポーズをとった。

実際に参加し映画を観て、周りの人や制作者の話を聞いていろいろ考えたことがあった。

 

恋愛にいちばん悩んでいた2月のあたまにnoteにひっそり投稿したものの諸事情あってその日のうちにゴミの彼氏にバレて削除させられた恋愛についての記事への追記を今回の感想に代える。

 

 

恋愛がわからない

 

noteへのはじめての投稿はファッション系にしようと思っていたのだが、ツイッターに投げるには少々長すぎ、かつセンシティブな内容なのでnoteに載せる。

昨年の8月あたりから施行に向けて準備が行われてきたようだが、千葉県で同性カップルや別姓維持のための事実婚をするカップルを結婚に相当する関係と認めるパートナー制度が今日から正式に始まったという報道を目にした。

千葉市事実婚も結婚相当と認定|NHK 首都圏のニュース(2019年1月29日閲覧)

わたし自身は女性の身体で生まれ女性の性自認を持ち男性を恋愛対象とするヘテロセクシャルLGBTにはまったく該当しないのだが、事実婚および同性婚が認められるか否かはいくつかの観点から決して他人事ではないと考えている。

 

別姓を選択したい

結婚時に選択的夫婦別姓が認められさえすればいいのだが、わたしは19歳現在、結婚しても自分の姓を変えたくないと思っている。

心底いまの自分の名前が好きだから、変えたくない。

選択的夫婦別姓など導入せずとも結婚相手が自分の姓に変えてくれれば済むが、「自分の名前が好きだから」という理由で相手に苗字変更に伴う諸々の事務的な手続きを負担させるのは気が引ける。

同時に、好きな人と生活を共にするために必須でもないし変えたくもないのに自分が苗字を変えて諸手続きを迫られるのも違うと思うのだ。

3組に1組が離婚するということは34%の人は将来的に再び姓を変える必要があるのに、わざわざ名前を変えたくない。

「苗字」という最強のお揃いアイテムが欲しいという意見を目にしたこともあり、それについてはなるほどと思うところもあったがお揃いにしたい人がすれば良いのではないだろうか。

留学していたニュージーランドのホストファミリーは夫婦別姓を選択しており、兄妹で姓が違った(兄は父の姓、妹は母の姓を名乗っていた)がそれが原因で家族間に亀裂が生じているような様子は半年以上一緒に暮らしても見られなかった。

 

恋愛結婚以外の選択肢が欲しい

お見合いがすっかり廃れ、大半の夫婦は交際関係の発展として結婚関係を選択し恋人を人生のパートナーとしている。

人生のパートナーが、親友ではいけないのだろうか。

たいした知識があるわけではないが、現行の制度では結婚関係にないパートナーは控除等の税制優遇が受けられなかったり、親族として認められず事故や事件などの緊急時にできることが限られると聞く。

結婚関係を結べるのは異性に限られることから、異性でないと法的にフルな支援を受けて人生を共に歩むことはできない。

逃げ恥のような最大限に効率よく生きるための契約結婚だって不可能ではないが、まだあくまで裏技の域を出ないし、それも異性に限られている。

同性婚が認められれば、恋愛をしなくても同性の親友を生涯のパートナーにする選択肢さえ認められるのではないだろうか。少なくともわたしはそう期待している。

 

恋愛ってなに

そもそも、結婚して人生を共に歩む相手を見つけるための重要な条件となっている(と見受けられる)恋愛がよくわからない。

該当するセクシャリティが見当たらないためおそらくセクシャルマイノリティーではないのだが、わたしは好きになる相手と性欲の対象になる相手が異なる。一年ほどずっと悩んでいる。

 

考え方や趣味が近くて話していて楽しい、見た目も少なくとも嫌悪感を抱かない程度には好ましいため一緒にいたい、会いたいと思う異性のことをどうしても性的対象にできない。

心の底から好きなのにセックスは無理だしキスをする想像すらできない男性が複数人いる。

彼らと付き合えば間違いなくわたしは楽しいのだが、性行為に及べないため相手がヘテロセクシャルだった場合不満を抱かせることは間違いない。

 

性欲がなければ良いのだが、性欲がないわけでも、性行為が嫌いなわけでも決してないのだ。そのため性行為なしの交際を了承してもらっても、わたしにも性欲が発生するので辛い。

交際相手には誠実でありたいので、こっそりセフレを持つのも嫌だし、自分の考え方が相手に認めてもらえる価値観だとは思えないので打ち明けられる気がしない。知らない相手とただただ性行為をしたいと感じるわけでもない。

 

ただ、性欲を感じる相手が大抵性格的には苦手もしくは嫌いなタイプなので趣味が合わず考え方も合わず、性欲を満たすことを優先させる付き合いにも無理がある。

おそらく性的にも好み(これは細かい条件を言語化できない)で似ている価値観の異性を見つけられればそれで済むだけの話で、書いていると自分がただただ守備範囲が狭いだけのクソ女に思えてきたが、とにかく自分が好きだと思える男性と性的な関係に発展できないし、性的な関係に発展できる男性は好きになれないので困っている。

好意に性欲が伴う感情を恋愛感情と呼ぶのだと思っているのだが、いつまで経っても性欲が伴わないまま好意だけが増していく。好意が一般的な友人に対するそれを上回った際にどうしたらいいかわからない。

異性の親友は存在しえたとしても恋人より優先される存在にはならないし、わたしは相手の望みに応えられる恋人にはなれない。

そのためおそらく性的に好みで価値観の合う男性と出会って共に好意を抱き特別な関係になれるだけの環境が整うという奇跡が発生しない限り、わたしは恋愛の結末としての結婚はできず恋愛によって人生のパートナーを見つけることはできない。

恋愛以外の手段を用いてパートナーを見つけられた場合、結婚と同様の支援を受けられるといいと思うのでパートナー制度は決して他人事ではないし、誰も損害を被らないと思うのでより多くの自治体で認められることを願っている。

 

 

恋愛がわからない Ver.2.0

 

結婚へのモチベーション

読み返すと、結婚欲がびっくりするほど強い。

それは今でも変わらない。自分自身が変化を好みさまざまな環境を数年で転々としているので、自分の帰る場所だけは信頼と居心地の良さが安定して築かれる環境でありたいのだ。

ここ数ヶ月でなぜか劇的に改善されたが、家族が苦手だという気持ちが思春期前後からずっとあった。わたしの家族は賢くておおむね成功者に分類される人間ではあるが、グイグイいく姿勢や周りの迷惑を顧みない(比較的)傾向があるのが苦手だと思っていた。

あいちトリエンナーレ田中功起さんの作品にも同様の記述があったと記憶しているが、血縁関係に基づく家族は人を選ばず(生まれるのだから)、自分の意思によって所属を変更することがほとんどできないのに最小かつ最も身近なコミュニティとして想定されている。

そういう家族の要素がひどく窮屈に感じられ、いっしょに生き抜くひとは自らの意思で選び選ばれたいという気持ちが強くある。

家族へのもやもやが急速に晴れたいまでも、その気持ちはかわらないのだ。

 

そういう保守的と言っても良い価値観が根本的にあるのに、「女は押し倒されるもの」「女は家を守るもの」という保守的なエロスのシナリオやセクシャリティのシナリオにどうしても馴染めないからこそ、上記の噛み合わなさは生まれているのだろう。

女は家を守るもの、という価値観はすくなくともわたしの世代では相当薄まってきており、おいそれと「専業主婦になりたいの」なんて言えない気配が漂っているのをたしかに感じるが、それでも結婚することが幸せという価値観は根底として流れているように思う。結婚すれば幸せであり続けられるわけではないとみんなが気づきはじめてはいるものの、それでも恋愛はポジティブな人間関係であり、その極北である結婚は当然に幸せなものであると信じたいのは誰だって同じではないか。主語が大きくなってきた。

 

「愛がなんだ」のテルコの価値観

映画の話を少々すると、どこまでも押し倒されるもの、家を守るものとしての立場を貫きとするテルコは、一見どこまでも保守的で前時代の価値観に囚われているように思えるが、きっとそうではないのだ。とりわけ積極的なわけでもなく、学歴や眼を見張るような美貌を持たず気遣いが得意なテルコがいちばん得意なのはきっと家庭を守ることで、当人も尽くすことに幸せを感じるタイプなのだ、そういう人がいてもいいとわたしは思う。

実際マモちゃんはそういうテルコのお節介尽くし体質を疎ましく思っていたような描写があるわけで、彼女は他者や社会がそれを望まない環境においても自身の能力を発揮しようとする強い女だ。

 

自身の才能を評価してくれない男に、彼が振り向かなくても、隣にいられなくても可能な限り近くに留まり彼女にとって最善の形で人生を捧げようとするテルコは、すでに自身の献身の対価として相手へなにかを求める恋愛のフェーズにはいない。

「愛がなんだ!」と叫ぶ彼女の「愛」はきっと献身の見返りとしての相手の永続的な好意を指していて、それを否定した彼女は幸せな恋愛のすえに幸せな家庭を築く…といういわゆるロマンティックラブイデオロギーにのっとらない価値観にある。

 

わたしの価値観を対比する

アンチロマンティックイデオロギーを唱えながらも恋≒性愛への憧れと結婚への憧れを無関係のものとして切り離せずにいるわたしは、きっとまだどこかへの途上にいる。

恋愛を好意+性的衝動と定義するならば、固定化された人間関係のなかに衝動が存在しづらい以上同じ環境に留まり続けていては恋愛は発生しづらいだろう。(なんらかのきっかけで衝動が生まれることはまああるのであくまでしづらい、という程度にとどめる)

 

たくさんの人と出会って、性的衝動の伴う好意を抱くか否か、衝動が失速してもなお持続できる関係の構築が可能であるのかを考えつづけいつかのタイミングで自分の結論を出すことが、恋愛を理解するということなのだろうと思う。

 

 

結論

恋愛がわからないわたしへ

 

男女問わず人と出会える新しい環境を定期的に設けながら

 

①恋愛感情=性的衝動を伴う好意 を人に抱けるのか

②その好意を特定の人と相互に抱くことができるのか

③性的衝動が失速してもなお親密な関係を続けられるのか

 

④性的衝動が挟まらない好意においても性的衝動が関わる関係と同程度の距離まで接近が可能か

 

を実践を通して考えてください。5年くらいで。

人と関わらずに生きていくことは不可能であるし、親密な人間が不在のまま楽しく生きていけるタイプでもない。好意だけでなく性欲も影響する異性との関係性をいかに構築するかは、人生で早めに把握しておきたいところだ。がんばれ。

 

 

 

 

 

Seize the day

 

高校2年生のときに書きはじめたブログで就職活動の進捗を報告できるようになってしまって、時の流れのようなものの存在を実感しはじめている。

なんといえば良いのだろうか、育った環境もあるのだが、高校生、つまり15歳から18歳くらいまではだいたいどこにいっても自分がいちばん若く、10年前なんて自我があるかもあやしい時期で実質10年前の世の中なんて自分のなかには存在していないも等しかった。

それが、20歳になってしまって振り返ると10年前の自分は明らかにそこに存在していた記憶があり、10年前の社会がどんなだったのか、何を見て何を感じていたのかもけっこう明らかに自分の中に残っている。高校に入学したのがもう5年前で、高校入学なんてけっこう最近のことのように感じていたので5年前というはんぶんくらい昔になっている時期の出来事であることに最初に気づいた時にはたいへんおどろいた。

 

「あたしなんてババアだから〜笑」と得意げに言う20代前半の女子が以前からほんとうに嫌いだった。自分より年を取っている人間が過半数なのに平気でそのひとたちを自動的にババア扱いしてしまう傲慢さと、その傲慢さの裏側に同時に存在する、年下の女の子と自分を年齢によって差別化して上位に立とうとする精神的幼さ、つまりことばの意味とは正反対の幼さが成立することに心底嫌悪感を覚えていた。

しかし、20歳に到達したいま、その女たちの気持ちはわからないでもない。酒やタバコを買う際の年齢確認ボタンにドキドキすることはなくなり、年金の請求書が届き、すぐそこにあった気がする過去もひと昔まえになりかけている。思春期より急速で劇的かもしれない変化を受け入れるためには「ババアなんだよね〜」というせりふのひとつやふたつ、可愛らしいものなのかもしれない、まあわたしは言わないのだが。

 

いくら高校入学が5年前になろうともわたしは高校生活で一度ドロップアウトしたので大学期間は人生の立て直しだと思っていたし、高校時代ときもちはほとんど変わらないまま延長戦のようなこころもちで大学生活を丸2年過ごした。

3年の夏になってなんとなく就活が始まった。ほんとうにみんな髪を黒く染めて、黒いスーツを着て、「バッグは自立する黒色のものじゃないとダメなのか」なんて話を大真面目にするのだ。

嘘だぁ。

 

と思ってやり過ごせればまあそれで良かったのだが、そうもいかない。

なんとなく就活を始めて、でもさして興味の湧かない合同説明会に行ったり適性試験の対策をまじめにやることもできず、インターンはだいたい落ちた(ほとんどはESの提出や適性試験の受験をしなかった)。

みんなと同じであることを顕著に求められ無個性な黒スーツを着て必死に自分を売り込んだ結果として、毎日朝起きて身支度をして満員の通勤電車に乗って……みたいな生活を強いられると思うと一切やる気がでなかった。

もともとルーティンワークを続けることがすごく苦手な性格で、柔軟な生活スタイルで臨機応変に新しいことをするほうが向いているという周りからの勧めもあったのでなんとなくスタートアップもいいかな〜と思い、wantedlyにサインアップしてスタートアップを2社ほど見学に行った。

 

社長やまあまあえらいひとに会社の話を聴きながら、自分の話(本を読んだり映画を観るのが好きで、いまは詩を書いたり自主制作の雑誌を作ったりしている)をした。だいたい2社とも反応は同じだった。

 

「うちは即戦力が欲しいから、きみみたいにスキルがない子は雇えないなあ……いまどきクリエイションは自分でも発信できる時代だからバズったりネットで影響力があればこっちからスカウトするし、デザインもプログラミングもできないんじゃね……」

 

じゃあどうして2社とも生産的なスキルや明確な実績がないことが事前に提出した書類でわかるわたしに会社まで足を運ばせたのだろうか……という気持ちには多少なったが、ハッとした点はあった。

 

大学時代って、実績やスキルを身につけなくてはいけないような時期だったのか……。

 

何事にもインプット→アウトプットの2段階があるとするなら学生時代はインプットに費やしていい時間だと思っていたので、大学3年の新卒採用の場で「スキルがないならお話になりません」と言われたのはかなりびっくりした。まあスタートアップは少数精鋭だからこそ小回りが利くという点から考えればなにも不思議ではないのだが、専門的にスキルを身につけていないふつうの私大文系でも入っていたイメージがあった。

 

世間的に加点対象になる程度には英語ができるので「スキルがない」と言われたのがショックでもあり、自分の需要のなさにやや落ち込んだ時間もあったが、即戦力のスタートアップ、育ててくれる大手というくくりも知っておおむね有意義な時間ではあった。

ほかの学びとしては、大学にろくに行かずにインターンに時間を捧げるような意識高い系は社会で即戦力になりえるスキルを身につけていて立派だったのだなあ(でもそれなら飾りでしかない大卒の称号を異様に評価しているいまの世の中はおかしいなあ)ということ、わたしはスキルはないとはいえまあまあ考えて大学時代を過ごしてきたので人柄や価値観評価の大手なら拾って育ててくれそうだなあということ、いまの時点である程度のインプットは重ねてきたので修士まで進学すればなにかしら実になる可能性があるなあということが挙げられる。

 

生きていくことはむずかしいが一方である程度の攻略手段は考えられ、それを試行錯誤する時間はまあまあ楽しいものである気がする。