平静とロマン

平成生まれの大正浪漫18歳

かえりたいところ

文章の書き出しはいつも迷う。
英語で書いたり話すときみたいに結論からはじめたり、筆を取る(正確には「スマホのキーボードを操作する」だけど)きっかけになった行動やできごとを並べてみたり。

気の利いた書き出しなんて出てこないから、結局いつも同じ、テンプレートにのっとった始まりになってしまっていないかすごく不安になる。だから、ブログを書きはじめてしばらくして何本か記事が並ぶようになったいま、冒頭とタイトルがほかの記事と被ってしまわないか何回も確認している。


6歳で本を読みはじめてから、小学校中学年のときのちょっと文章や詩を書いてみたくなった一時期を除いて、自発的に文章を書いたことはただの一度もなかった。

文体もテーマも文字数も制限なく、思ったことをそのままに形にしていくことは、わたしにとってすごく素敵で心地の良い作業であることを知った。
一本書くだけで気持ちがすっきりするし、自分で感じたなにかを文章にすることをこころの隅に留めながら過ごす日は、背すじをぴんと伸ばしたくなるようなささやかな緊張感がある。


わたしの吐き出す言葉や文章の質は、それまでに見たり読んだりしたものたちの豊かさに等しいと思うのだ。

だから、ここ最近、本に対する考え方がすごく変わった気がする。本は誰かがわたしと同じように文を紡いだものの結晶で、一番わかりやすい教科書だ。

世の中に溢れている書籍の中から、自分の興味関心や感性に合うものを探すのは案外難しい。こうして文章や文学という存在そのものに興味を持つようになって改めて思った。


わたしは、知識を求めて本を探すときや新しいジャンルや作家に出会いたいときは図書館に行くのが好きだ。
図書館では新しい本も古い本も、出版社も関係がない。たくさんの本が並べられた大きな本棚の前に立つと、知りたかったことがらもそれまで知らなかったことも全部全部一緒になってわたしを包む。


わたしが自分で本を選ぶようになって一番最初に通った図書館は学校の中だった。

夏は涼しくて、冬は暖かい。
扉をあけるとあふれだす、本の独特な香り。年月を経て使い込まれているけれど、清潔なまま保たれた建物や設備。いつでも静かにカウンターに座る、やさしい司書さん。

天井の高い、外国の教会のような不思議な雰囲気の図書館。
わたしは中学受験に失敗していて、たまたま入ってしまったその学校が最初から最後までだいっきらいだったけれど、図書館だけは本当に落ち着くことのできる、学校の中で唯一の居場所だった。

学校に行かなくなって、図書館に行けなくことがなってしまったことは悲しい。

最近、公立の図書館に何ヶ所か行ってみたけれど、やはり学校の図書館はわたしにとって特別だと思った。
駅ビル直結の綺麗でにぎやかな図書館も、渋谷のふるびてなんとなく淀んだ地下室のある図書館も魅力的で、一度入ると本をたくさん抱えたくなってしまうけれど。

わたしの通っていた学校は一年に一度、文化祭でしか一般公開はされないが図書館は立ち入り禁止だ。
卒業生にはならなかったから胸を張って楽しく学校を訪れる日はとても遠いと思うけれど、いつか、あの図書館にもう一度行きたい。