屈折率1.33
思えば、もう2年半近くプールに行っていない。
塩素の薬品らしい冷たい緑色をした匂いも、キラキラと白く光る水面も、水中で視界一面に広がる不自然なまでに透きとおった水とパステルカラーの底も、わたしはとても好きだ。
わたしが小学生か中学生のはじめのころに出会って今もときどき読み返す本のひとつに梨屋アリエさんの『プラネタリウム』という短編集がある。
4篇収録されているうちの2番目だっただろうか、幼なじみの彼女がいる先輩に恋をしてしまった女の子が失恋をして、涙でからだを溶かしてできた池に小魚になって飛び込んでしまう話が収録されている。
わたしは、はじめて読んだそのときからずっとずっと彼女が羨ましくて仕方がなかった。
悲しくてかなしくてしかたがないときや、自分にほとほと愛想が尽きたときにじぶんの輪郭を失うことができるなら、しかもあのひんやりとしてとろとろとした水になれるならどんなに幸せだろう!
羨ましい死因ナンバーワンだ。
ちなみに次点はダレン・シャンの空気に粒子のように消えていく死にかたである。
現実には叶わない話であるのはわかっているけれど、それでもわたしは水に浸かることが好きだ。
長風呂で人肌くらいの温度まで冷めたお湯につかっているときの、あのもうすこしで水に溶け出せそうな感覚も嫌いじゃないけれど、やはりつめたい水にざぶんと入って壁を強く蹴って前に進むプールでの感覚には敵わない。
最後に行ったプールは、ニュージーランドの市営のプールだった。わたしが住んでいた街は港町で、海の真上に真水のプールがあった。
ひとりでちょっと出かけてくるからと言って、住んでいた家から4kmほど、徒歩で40分ほどだっただろうか、ヘッドホンで音楽を聴きながらダウンタウンを歩いてそのプールに通っていた。
知っている人にはまず会わないし、そのあとに特別な用事があることもほとんどなかったから誰の目も、時間も気にすることなくひとりで黙々と泳いでいた。
きっと、日本では同じようには行かない。
丸一日好きなことができる日なんていまはもうほとんど作れないし、そもそも家の近くのプールはほとんどジムの契約が必要だったり1時間ごとの値段だったりするもの。
ニュージーランドのプールの近くの写真を探していて、すこし懐かしくなるなど!奥の白くて四角い海に張り出している建物がプール。
海外に出たら、いま感じている息苦しさは消えるのかしら!